安全と平和の違い〜 エリア88

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正月の新年の抱負で、ひと月にせめて10の記事を、と書きましたが、1月は辛うじて10記事をアップ出来ました。
やれやれ。
しょっぱなからギリギリか!
ってとこですが。

本日は例によって古い漫画のご紹介。
これも以前は全巻持っていたのですが、例によって大学で一人暮らしする際売っぱらってしまっておりまして。
現在、近所のブックオフで105円でコツコツ再度収集中。
新谷かおる氏の代表作、エリア88です。

記事タイトルそのままのセリフが作品中にあるのですが、この主題は、およそ政治というものを考える上で、一番最初に学んでおかなければならない概念であり、また、政治家というものが立場の違いはあれ、国民のために働く人間であるのなら、他の何を犠牲にしてでも実現しなければならない最重要政策、それが「国民の安全を守ること」です。

昨今、中途半端な覚悟の右翼もどきごっこをしているような連中は、
「戦争だ−!戦争だ−!共産シナに宣戦布告だ−!きゃっきゃっきゃ」
と、「戦争」とは何かもわからないままはしゃいでおり、小林よしのり氏の「戦争論」の作品あたりで右翼お花畑になってしまって、一体何を言ってるのかわかってるのかこいつらは、と言う簡単さで
「国のために戦うううう!」
とか喚くバカが増えました。

あの本に感化されたというのに、どうしてこんなバカが量産されるのか。
よく、「戦争論」を批判して「戦争礼賛本」などという、己の読解力は0ですと言っているに等しいアホな感想を述べる輩がおりますが、ベクトルが正反対なだけで戦争きゃっきゃの連中はこういう輩と同じです。

あの本の主題となっているのは、「戦争とは現実の世界において国際法上において、政治の世界において、どういうものであるのか」
「日本がなぜ戦争を行う必要があったのか」「戦争と犯罪としての殺人の違い」「戦争犯罪」とは何か、等など、盛りだくさんの内容であるのですが、突き詰めるのであれば、「戦争を国家が行う必要がある理由」についての解説ということになるのではないでしょうか。
これをきちんと理解しないままぬかす、「戦争だあ!国のために戦うう!!」などというおこちゃまの雄叫びなんぞ、大根役者のセリフほどにも真実味がないというものです。

ああいう輩を見ていると、「何のために国を守るため命まで犠牲にして戦う必要が起こるのか」
というのを全く理解していないのだと察せられて、
目の前が〜暗く〜なる、さんとわーまみー♪(分かる人はわかってください)
でございます。

勿論、過去記事でも繰り返し述べております通り、私とていざとなったら爆弾抱えて国を守るために特攻する覚悟は持っております。
が、当たり前ですが叶うものならそんな目に合うのはまっぴらゴメンです。
そして、戦争をやらざるを得ない状況に追い込まれるというのは、政治がだらしないからであるということは、今も昔も変わることは有りません。
戦争を起こすことが正当化されるのは、戦争以外に国を守る方法が最早ない、と言う場合のみであり、そのような状況であったとしても、戦争を行う羽目にまで追い込まれた政治家の力量不足は、非難されてしかるべきなのです。
政治家が戦争にまで持って行かせないためありとあらゆる政策、工作を行っていれば、戦争にまで持ち込まなくて済む道は必ずあるからです。
それを怠った場合にのみ、「戦争しなければにっちもさっちもいかない」となり、政治手段としての「戦争」発動せざるを得なくなるのです。
戦争を行う、ということは則ち、政治家が、国民が、政治に手を抜いた、ということです。

戦争が起きる理由は突き詰めるとそれしか有りません。

現代の戦争は、すべからく武器商人、ゼニゲバグローバリストの金儲けのために起きていることであり思想信条その他は一切関係ありません。
が、実際に戦争やってる連中の、コロシアイをやらかす理由はまさしくその、「思想信条その他」です。
本来、思想信条が違うだの、民族人種が違って気に食わないだのの理由があったとしても、いちいち内戦だの戦争だのに持っていかずとも話しあえばいいわけです。
それが、ゼニゲバ共に飯の種めっけ♪
とばかり取りつかれて、コロシアイをさせられるハメになるのは、当人たちが、コロシアイにまで発展するほど交渉の余地がなくなる状況になるまで、そのような状況を回避するための諸々の努力をサボったからにほかなりません。
故に、戦争の原因はただひとつ、「国民と政治家が、政治の舵取りを真面目に行うことをサボったから」と申しました。
ゼニゲバ商人共に漬け込まれるような馬鹿な国民しかいないのも、政治家が事なかれ主義で外交をサボるのも、そのような政治家を面倒臭がって糾弾しないのも、全て「国民が政治の舵取りをサボった」が故です。
よって、戦争になるのはよそからどんな陰謀を仕掛けられようと、戦争に突っ込む羽目になったその国の国民が悪いのです。

この普遍の真理たる大前提を、頭に叩き込んでおけば、シナチョン共が「日本に蹂躙された−!!!」などと喚くことに対して罪悪感などもつに至るはずがないのですが。

「いや、俺達はあんなに努力した、こんなこともやった」というのは、実際に戦争が起きているのであれば全て意味のない言い訳に過ぎず、1億円が必要な事業をやるのに100円頑張って溜めたんだと言っているのに等しいのです。

戦争論」では、大東亜戦争で、だらしない政治のつけを払うため、本来回避することが可能であった戦争に駆り出された挙句、戦死したことを、
「命より大切なものなど無い=ヌチドウタカラ=生き残ることが正義だ」と、あざ笑う戦後の風潮を批判し、
「人は「物語」のために生き、死ぬ=生きてさえいればいいのか=命をかけて守るべき物が有る」ということを繰り返し説いています。

「人のために死ぬのなんてゴメンだ自分の命が何より大事だ、戦争反対!」
というアホな理屈を批判したかったのであろうことは勿論分かりますし、「命」さえあれば、人間としての誇りも生きる目的も何もなくともいい、何より生き延びることが大事、とは勿論思いません。

何一つ間違いなく永遠に国家を運営したいと思ったところでそれは不可能なのですから、政治の不手際の結果として戦争しなければ国が滅ぶと言う状況になったのであれば、国のために戦うことは国民として当然の義務であり、それが嫌だとぬかすような輩は根無し草となってその国の国民としての権利を剥奪され、奴隷にでもなりゃあいいのです。

「生きてさえいれば幸せ」なら、それに文句はないはずでしょう。

奴隷制度には基本反対ですが、必要になるとしたらこういうところですかね。
奴隷というか、市民権剥奪、働く権利なし、医者に掛かる権利なし、公的機関を利用する権利なし、私的財保有権なし、etc、で、「命」だけあって生きていけばいいと思いますよ。

が、そのことと、実際政治家が「戦争」という、国民を究極の「安全」な状況の対極に追い込むことの是非とは関係がないのです。
政治家、国民の政治怠慢によって「戦争」になってしまうというのは、「最悪」の事態なのです。

ここを履き違えて、どうしようも無くなって戦争が起こってから国のために命をかけて戦う高潔な決意と、まだ戦争が起きてもいないのに、政治手段として戦争をすればいいと、安易に戦争を望むことを混同するバカが「戦争論」以後大量生産されたのではないかと危惧しています。

「いよいよ他に手がなくなったら、私達はそれこそ最後の一人まで日本人としての尊厳を守るため戦う」
という決意を持っていることと、
「面倒だから戦争でかたをつけちまえ」
ということは、同じではないのだ、戦争を起こさないために働くことは、「日本人としての矜持を捨てて敵に媚びへつらう事なかれ主義」とは違うのだ、という事がわかっていないのではないか。
安倍首相の対外政策において、シナチョンアメ公共の日本落としの理の通らない非難に対する対応がぬるいとただ盲目的に叩く人達が、これらのことをわかった上で、連中に圧力を掛けるための手段として叩いているのであれば問題は無いのですが、本気で
「安倍は外国に物を言わないいいいい!!」
などと喚いているのだとしたら、そのオツムの軽さに目眩がいたします。

エリア88に、このことについてズバリ言い表した場面があるので引用します。
その前にざっと話の前後のあらすじを。

今回紹介するエピソードは物語の終盤です。
主人公の風間真は、紆余曲折あって外人部隊を除隊した後、ベトナムシンドローム状態になってしまい日本に帰らず、アフリカの革命後独立したばかりの小国で、クーデターから大統領を守って国外に脱出する、と言う作戦に参加。
結果として大統領を守ることはできなかったのですが、大統領が死亡する前に、彼から国家予算規模の隠し財産を渡され大金持ちになります。
その資金を使って、現代のグローバル資本のモデルじゃないの、というような、プロジェクト4という「金の為に、生かさず殺さずあちこちで自分たちの思い通りに戦争を起こして儲ける為の組織」の妨害を行うため日本に帰国。
そこで日本の影の総理と言われる人物と知り合い、その人物に、風間のやっていることがプロジェクト4を刺激して日本の安全を陥れる、として海外に放り出されてしまいます(まあ、元から外人部隊に戻るつもりだったようですが)
その理由について、風間のいない場所で海音寺八兵衛という、「影の総理」と、内閣調査室の藤堂と言う人物の会話です。

藤堂「私個人としては風間に協力はしてやりたいですが」
海音寺「個人的な意見はいい。大事なのかこの日本という国・・・いや、経済組織と言ってもいい・・。
こいつの安全をどこまで確保できるか・・だ。
安全と平和は意味が違う。
日本以外のすべての国が血まみれになっていようが、日本が絶対にそれに巻き込まれない状態・・・それが安全だ・・!!
平和というものは、日本を含むすべて・・少なくとも地球上であらゆる争い事が起きないことを言う。
こいつはかなり難しい。
藤堂くん・・日本は経済大国だ。
武力を持っているわけではない。
経済組織の安全こそ、今の日本の安全だ。
言い換えれば、経済機構の乱れは、現在の日本の安全を脅かすことになる。
〜中略〜
彼の放つはずの正義の矢は、我が国の経済に対しても、少なからず影響は与えるだろう!!
平和共存は人間の悲願では有る。
だが・・出る杭は打たれるの例えが有るように、我が国も、対外的には山ほど問題を抱えている、
平和よりも、今は安全を取るべきだ!
世界数十億の人間の平和のために、日本一億二千万の安全を無視するわけにはいかん。
たとえ・・鬼と言われようと、海音寺八兵衛、一歩も引くわけにはいかん。

古い漫画ですので、多少この時の状況から、日本の置かれている情勢は変化しております。
文中で、「経済組織の安全こそ、居間の日本の安全だ」とありますが、これはもちろん現在でも変わっていませんし、当時も今も、日本のみならず全ての国において当てはまる、国が「安全」であるための絶対必要条件です。
しかし、これは「必要条件の一つ」でしかなく、国を守るための絶対必要条件として、他に「軍事力」があります。

当時はまだアメリカの力が絶対となっている時代であり、冷戦下であり、文中で言っているように「対外的問題」則ち、欧米中共による外圧、国内洗脳工作で日本は自力で武装が不可能な状況に置かれていました。
今の若い方には想像がつかないかもしれませんが、この当時の日本においては、経済力さえあれば、日本は安泰だとの思想がそれこそ批判も許さない程にのさばっていたのです。
この漫画を久しぶりに読んで、この場面からそれが察せられて、感慨ひとしおです。

そして、「現在の情勢の変化」とはなにか。
それは、日本という国家の安全を担保する必要条件の一つ、「軍事力」の肩代わりを行っていたアメリカの衰退です。
戦争は、軍事力の不均衡が、軍事力の空白が現れた時に起きるのです。
アメリカの衰退による、日本国に存在していた軍事力の弱体化という軍事力の不均衡、これは、「軍事力の空白」です。
真空空間に周囲の空気が吸い込まれてあっという間に埋められるように、これは発生するとすぐに何がしかの軍事力によって埋められていきます。
例外は有りません。これは自然法則と言っていい、人間社会における法則です
ここで埋まるものが、中共による軍事侵略となるのか、日本の軍事力強化でアメリカの空白の代替となるのか、という、それこそ戦後70年間変化しなかった軍事バランスが変化する歴史的現場に我々は今直面しているのだと、認識せねばなりません。
ここで、この軍事的空白を日本の軍事力によって埋められなかったらどうなるか?
日本は共産シナによる侵略を受けることになります。

安倍首相が帝国主義を復活させようとしている〜〜!!などと喚くバカは、シナ共産の工作員でなければ、殺されるまで相手が犯罪者だとわからず「差別しちゃダメ♡!」などと喚くキチガイです。
最初に記載したように、政治家が行うべき最優先事項は、「国民の安全を守ること」です。
医療制度を整えることも、老人ホームを作ることも「国民の安全を守る」ことに変わりは有りませんが、軍事力強化の必要性に比べればそんなもん最下位にするぐらい出ないと困るのです。
なぜなら、中共土人侵略者に銃撃をうけたり、爆撃を受けたりして侵略されきっちまえば、老人ホームなんぞどうせ運営できませんし、医者がいたところで日本人は医者になどかかれるはずもなくなるのですから、予算を割くだけ無駄というものです。
虐殺されるってのに老人ホームがあったってしょうがないんですよ。
わかりますか?
まあ、これは勿論極論であり、自体は今すぐ太平洋戦争中の総動員体制にまで持っていかないと、というほど逼迫してはいませんが、今から本気で、国力の総力を上げて軍事力を強化しないことには、本当にシナ共産による侵略が行われることは既定路線、というところまでは緊迫しているのです。

お前は以前の記事で、日本は白人どもの植民地支配からアジアの国々を開放するために戦ったんだと威張ってたじゃないか、なのに、ここでは世界平和より日本だけ良ければ、と言う主張を推すのか、という意見がきそうなので先回りして回答しておきます。

先の大戦に置いて、日本が東南アジア諸国を開放するためと言う大義を掲げたのは別に嘘では有りません。
が、日本が戦争を行ったのは、そのためではない。
日本に戦争を決断させた理由、日本国民の命を犠牲にしてでも戦争を遂行した理由は、当たり前ですが日本国を守るため、これに尽きます。

フィリピンで土人アメ公にフィリピン人が強姦されようが虐殺されようが、他の東南アジア諸国が軒並み同じ目に会おうが、日本という国が土人白人どもに同じ目に合わされないという、自然法則レベルの保証があるのであれば、そんなもん無視しておいて構わないし、実際問題として日本は江戸時代を通じ、その世界最強の軍事力を持ちながら、蹂躙されるフィリピンやインドネシアに救いの手など差し伸べはしませんでした。

当たり前です。
てめえの国を守るのは、その国の国民がやることであり、なんだって赤の他人のために日本人が血を流して蛮族から守ってやらにゃあならんのか。

当時日本が鎖国を続けて知らんぷりっ子政策をとれたのは、白人どもが日本に侵略できないという自然法則があの時だけあったからでは勿論なく、日本が世界最強の軍事力を持っていたので、えっちらおっちらやってくる白人蛮族共など、コムシ程度の脅威でしかなかったからです。

その後、その最高の政策を維持できなくなったのは、パックス・トクガワーナにおぼれて、戦国時代のように真摯に海外情勢を探り、いざというときの軍備を整え、外的に備えるという「しんどい」事を、ぐうたら根性で日本国民が、徳川幕府がサボったからです。
全くの自業自得です。(勿論侵略を仕掛けてくる土人白人が悪いのは前提ですが、ゴキブリ相手に事の善悪を説いたところで仕方有りません)

前回の記事で、あの時代に日本という国が、鎖国を解かれて、結果として土人白人どもを追っ払うべく戦争するところまで追い込まれたのは、この地球の意思だったのではないか、と書きましたが、これについては今でも私はそう思っております。
先に上げたとおり、戦争というものが正当化されるのは自国を守る為のみであり、たとえ他国を助けるためであれ、自国の民を犠牲にするなど噴飯物です。
だから、日本という国が、自分を守るためにアジア全体を守らざるをえない状態に追い込まれた、それが地球の意思なのではないか、といっているのです。
もっと言うなら、日本という国が、その実力を持ちながら、アジア諸国の地獄を放置していたから、結果としてあそこまでの犠牲を払うことになってしまったのではないか?
とも思っています。

何度も書いているように、私は日本という国の今後あるべき姿は、「鎖国」だと思っております。
つまり、日本という国が、その世界最高の民度にかなう、と認定した国とだけ親しく付き合い、付き合っても害しか無いと認定した国とは国交を閉じる、それを100%日本の意思で行うことができるようにし、それを実現しても日本が安全でいられるようにすること、これが日本の目指す道です。

しかし、そのさい、日本は土人国が、人間に進化するための蜘蛛の糸を垂らしておかねばならないし、「本人たちが人間になりたいというのであれば」それに手を貸す覚悟を常にしておく、それが日本の「安全」を究極の意味で守る道であり、すぐに実現しないとしても常に国家目標としてすべての国民が共有する常識となっていなければならないと思っています。

それを忘れて、「日本だけの安全」を追求した場合、またしても「パックス・トクガワーナの怠惰」による、外敵を追い払う能力の欠乏という事態を引き起こすことになるでしょう。
怠けてはいけないのです。

さて、遥か先の目標はそれでいいとして、勿論世界平和のために日本の安全が脅かされるなどという自体は絶対に避けねばなりません。
ではどうしたらいいかと言ったら、これまで述べたことの中に既に答えはあります。
戦争をせず、ろくでなしの土人国に粘着されないで済んでいた江戸時代はどうやって実現したのか?
世界最強の軍事力を持ちながら、それを侵略などという愚かしいことには使用せず、日本に侵略しようという連中を脅して追い返すことだけに使用していたことによって実現したのです。

要は、軍事力を強化すればいい。
今、日本の安全を確保するためにやるべきはそれだけです。
蜘蛛の糸」「救いの手」これは、現在の日本は地球の意思十分にを満たす規模で既に行っているのですから、このままやっとけば問題有りません。

これを実現するための障害となっているのは何でしょうか?
資金ですか?別記事で新たに起こしますが、日本は日本国内で使用する金について、何一つ心配する必要などありません。
技術でしょうか?世界最高の技術力、生産供給能力を誇る日本様にです。何も問題有りません。

問題となるのは、WGIPに洗脳されきって覚醒せず、日本の置かれた現状も認識しないでパックス・アメリカーナの夢から未だ冷めない日本人です。

安倍政権は、最早コケるわけには絶対に行かないとの悲壮な決意のもと、慎重にも慎重を期して、日本国民の覚醒度合いを見極めつつ、小出しに、剣道の含み足のようにこっそりと、しかし着実に軍事力強化に努めています。
しかし、そろそろ、人力作業で城を建てるような状況からは抜けだして、重機で一気に事を運ばないことには手遅れになりかねません。
それほど、極東の状況は逼迫しています。

そのために、一日でも早く日本国民の洗脳を解かねばならないのです。
パックス・アメリカーナの夢、共産シナのお花畑左翼思想の洗脳を解くのに、まずは今回紹介した本のような、世界の政治と戦争の現実を、読むだけで悟らせてくれるような本をもっと広めることも有益なことです。

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