京都の人間に見る政治家が学ぶべき資質〜京都・きもの暮らし

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京都・きもの暮らし

京都・きもの暮らし

今日こそは優雅にきもののお話・・と思っていたら、またしてもちょっとばかり政治がらみのお話になってしまいました。
京都人の性質には、現代日本人がお花畑左翼思想に洗脳されて失ってしまった強かさが、途切れることなく残っており、これを日本全国に一般常識として拡散することは、日本の将来にとって大変有益であると私は思っております。
とは言え、今回の記事は序章と言っていい軽めのシロモノなので、お楽しみいただき通さらりとお読みくださいw

やっと重い腰を上げた着物のお手入れを継続すべく、せっせと着物絡みの本の記事をおこしております。
今年中に、なんとか、手持ちの着物を全て縫いに出すなり自分で縫うなりして、手入れの必要な物が0になるとこまで持って行きたいものです。

今回ご紹介する本もまた、偉い古本なんですが。

本の写真がアマゾンになかったので

作者の永田萌氏は、「カラーインクの魔術師」の二つ名を持つ、著名なイラストレーターです。
絵については大抵の人に好まれる嫌味のないものだと思うのですが、人によってはメルヘンチックすぎると嫌う方もおられるかもしれません。

この方が、本の中でも触れているように有る日突然、
「わたし、これからは『永田萌さん?ああ、あのきもののひとね』と言われるようになるわ」
と宣言し、着物生活に突入。
その後の着物生活で起きたあれこれを綴った楽しい随筆です。

着物初心者の方が読んで参考になるあれこれの逸話がたっぷりで、抱腹絶倒しつつ、ためになるw

私のお気に入りの話の一つに、氏は京都在住なのですが、そこの出入りの呉服屋と、新しく作るきものの相談をしている際、呉服屋さんが
「萌さん、これからはもうちょっと丈を長う、作らはらしませんか?」
とうっかり口を滑らせ、氏を激怒させるお話があります。

彼女には息子がひとりいるだけなので、いずれ嫁さんにきものを譲ることを考え・・と余計なことをいったばかりに、かわいそうな呉服屋は萌氏の逆鱗に触れ、
「私の着物は私の寸法でいいんです!なんで息子の嫁にやる心配を今からしなくちゃならないの!」
と怒鳴られ、
「あっこれはすいまへん余計なことを言ってしもて」
と、「お茶をのむのもそこそこに」
逃げ帰ってしまった、というwww
腹の収まらない萌氏は後日友人にその話をして、「息子の嫁に対するヤキモチ」であると喝破され、私が死んだら私のきものは全部あなたに上げるわ、となる。

話自体とにかく面白かったが、もひとつニヤリとしたのは、京都の、しかも「呉服屋」などという海千山千の妖怪変化が、京都の人間でもない永田萌氏相手にうっかり完敗のヘマをやらかして逃げ出したところです。

私は京都人というものが全く好きではないが、それはある種の尊敬を含んだ上での嫌悪の上で、自分が関わり合いになるのでなければ見ていて大変面白い人達だと思っています。
彼らは、もちろんすべての京都人がそうなわけではないでしょうが、人間関係において、
「絶対に本音を言わない」ゲーム
「絶対に自分を貶めない」ゲーム
「絶対に自分の意見を言わない」ゲーム
を、同時並行で物心ついた時から死ぬまで続けている、リアル生活これ全て政治家生活と言っていいような超人達なのです。

中でも呉服屋なんて言うのは対人関係のプロ中のプロというべき妖怪人達で、本心はどうあれ、相手の心象を害するような事はすべからくこれ頭に入っており、さらには相手によって言っていい事悪い事、つるりつるりと滑らかに対応可能なぬらりひょんぐらいに思っていたのだが、まあ、猿も木から落ちるというところだなあとw

というか、日本のヘタレな政治家なんぞ、京都人にかかったら、相手にもならないだろうほうに、100万ペリカ
NHKの、能なし会長あたりにぜひとも爪の垢でも飲ませてやりたいものです。
あの、従軍慰安婦失言攻撃してやろう支那チョン工作員とのやりとりは、漫才かと思ってしまいましたよ。
あの籾井勝人とかいうおっさん、実は安倍政権を潰すための刺客じゃないのか?!

過去記事で散々言っていることでは有るのですが、私は政治家、と言うのは人間のクズがやる仕事であると思っております。
その理由は政治家と言う仕事をまっとうするためには、人間のクズとしか言いようのない能力を持っていないことにはどうにもならないからだ、と。

そして、上記に上げた京都人が日常生活でやっている3つのゲームは、政治家の能力として絶対必要な技能なのですよ。

「本音を言わない」ぐらいは、日本の政治家でもどうにかこなせているのが多少はおります。
「自分の意見を言わない」も、まあやってはいますが、ハッキリ言って児戯に等しい
どいつもこいつも、ただ「善処します」「記憶にございません」「しっかりと対応」
教科書に載っているセリフをただ壊れたテープレコーダーのように繰り返す。
これと、京都人のゲームとは性質を異にします。
ただ、相手の言うことを交わすのではダメで、相手に自分を非難させる隙を与えないように、しかも、というのが必要なんですよ。
京都人というのはこれをどこまで上手にできるかを常に競い合い、これが上手にできる人間を上に見る傾向がハッキリあります。
「人あしらい」が旨い、ということに、古来から続く日本の伝統をハッキリ意識した上で、「何のために」それが偉いのかを意識した上で、価値をおいている。

これが、左翼思想にやられた東京近郊には全くありません。
昨日、きくちいま氏の本の記事で書いたように、WGIPでやられた挙句、「本音と建前」で人間関係を破綻させないとか、そういう日本人なら当然の腹芸を、汚らしいものとして貶められて、伝承が切れてしまっているのです。
これを、京都人は全く切らせていないんですね。
まあ、関西は在日の巣ですから、その手の気配が全くないとは言いませんが。

日本の外交がここまで腰砕けになってしまったのは、京都に残っている、この「対人交渉手法」が根こそぎWGIPで貶められ、消されてしまったからです。
戦前は、京都は確かに突出していたとはいえ、これに類する腹芸なんぞ日本中にきっちり残っていました。
それが、共産シナやアメ公の日本人劣化工作によって否定されてしまったから、ここまで政治家も外交官も使い物にならなくなってしまったのです。

政治家というのは、言質を取られず、争いを起こさず、当事者間の利益を調整して争い事を治める能力が絶対に必要なのです。
そのためにには、上記に上げた、京都人の「本音を言わない」「自分の意見を言わない」事を、「本音を言わないためのごまかし」と取られないように如何に上手いことすり抜けるか、というのが仕事を行う上で絶対に必要になります。
これができなきゃ、仕事もしないうちから役職については失言辞任、なんてことになってしまう。
事実、今までの日本の政治はそうだったのです。
マスゴミに寄る言葉狩りが問題なのは当然ですが、そういう状況であることぐらいバカでもわかるというのに、勝算もなく唯自分が言いたいから本音を言ってみるなんていうのは、政治家でなくとも
三本足りないバカ
でしか有りません。
就任早々大臣を辞任して麻生内閣の足をおもいっきり引っ張った、中山成彬議員などがいい例です。
自分の信念によって成すべき政策があるのであれば、それを実現するために、実現する現場に居続けなければなりません。
日本を守ろうとする政治家を引きずりおろそうと鵜の目鷹の目のハイエナどもの前で、自ら武器を捨てて裸踊りをするようなアホは迷惑です。

もっとも、そういうアホではなく、しかも愛国心にあふれた政治家がひしめいているのであれば、中山議員のような愛国心も行政能力もあるけど政治家としては三本どころか100本足りないようなのはお払い箱でいいのですが、悲しいかな現在の日本にそんな人材があふれているわけではないことは日本国民ならだれでもご存知の通り(泣)
中山議員のような人材ですら、十分に貴重なのです。
だって、後は政治能力を見がけば、立派な政治家なんだから・・。
よって、彼のような、有能にして売国奴ではない、政治家としては三流の人間が、政治家として経験値を積んで、ヘマをやらかさないよう祈りつつ当選させるしか有りません。

政治家を育てるのもまた、国民の義務です・・。
日本の政治家に京都出身者が増えてくれたら安心して政治を見ていられるようになるんだがなあ。。
せめて日本の政治家は、(一般人もですが)正論やら、思っていることをそのまま言うのが立派なことだなどというガキンチョの論理は卒業してから選挙に挑んでほしいものです。
安部、麻生両氏がこのへんに結構強いのは、やっぱ民間で長いこともまれて来た経験があるからだろ−な・・。

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