日本という国の凄まじさ:数十年の「平和」ですら存在する事は稀な事実〜銀河英雄伝説

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銀河英雄伝説」2回めの登場です。今回のエピソードは黎明編から。
この本については紹介したい場面が山とあるので、今後も折に触れ登場すると思いますw

またしてもシリーズ化しそうな予感ですが、今回の記事のテーマは、

洗脳によって秘匿された「世界にまれな日本の優秀性」の一つ、「自力で平和を維持する能力」

についてです。


過去記事でも何度か、洗脳の初歩的かつ、必ず行われる手法の一つとして

「情報の秘匿」

があるとお伝えし得してきました。

ところが、これを「洗脳」の最も効果的な手法であると認識してもらうことは非情に困難です。
以前も申し上げましたが、「洗脳」手法というのは一般の人が想像するような、どこかに軟禁して、妙なヘルメットを被せ、ひたすら教祖のお経を延々と聞かせたり、共産主義の独裁者を称える演説を繰り返し叫ばせて、やらない輩を拷問したりすることばかりではないからです。

むしろ、「こうやって洗脳してやる」と意識してその手法を使用しない限り、ごく普通の人付き合いテクニックに過ぎない物のほうが多いし、そのほうが強力な洗脳となります。

なぜなら、先に上げたような強制的洗脳と違って、こちらは本人に洗脳されていると自覚させることがより困難だからです。
「あなたは日本の優秀性をWGIPによって、優秀性ではなく、特殊でおかしなことだと認識するよう洗脳されているよ」
などと言ったところで、

「自分は別に政治とか歴史とか余りキョーミないし〜。てか、そんなんキョーミ無いのがふつーっしょ」

となるのがオチです。

そのくせ、日狂組による「自虐史観教育」についての知識は持っていたりする。
「戦争はダメだ!」
「戦争悪いこと!」
軍事力増強の話が出る度パブロフの犬のごとく叫ぶお花畑左翼の人達は、ではなぜ、そんなに大層なことのはずの「戦争をしない」=「平和」を実現している日本、この日本の70年に及ぶ「無戦争」状態を、

世界にもまれな素晴らしい平和の状態だ、日本人は素晴らしい、世界を見渡してもほんの数十年ですら戦争も内戦もなかった国は歴史上珍しいのに、日本は歴史を振り返ると、誤差レベルの期間しか戦争をしていない

と、自画自賛して宣伝しないのでしょうか?

縄文数万年の歴史の中で、日本においては戦争に起因して死んでいる、則ち武器によって殺害された人骨が全く出土していない事を、あなたは学校の教科書で習ったでしょうか?

おそらく習っていないでしょう。
私も習っていません。

学校で習わなくとも、なにかテレビで宣伝されていたり、社会人としての会話で、
「日本人は争いをほとんどしないで歴史を紡いできた民族だからね!」
と当然の常識として出てきたことが有りますか?

無いでしょう。

何故無いのか、考えたことが有りますか?
逆に、日本以外の国が、日本のような誇るべき平和の歴史を持っていたとしたら、それを国民に宣伝し、子供の頃から教育し、外国に向かっても喧伝するとは思いませんか?

こう質問すると、「きっと、誇りに思って自慢して宣伝しまくるでしょうね・・・」
と、初めて同意する方がほとんどです。

外国であれば、鬼の首をとったのごとく我らの国は平和を好む民族なのだと自慢して宣伝するだろうと、自然に答える日本人のあなたは、なぜ日本ではそうしないのか、考えたこともないのではないですか?

なぜ、そのようなダブルスタンダードを行うようになったのか、考えたことは有りますか?

無いでしょう。

そこで、「あれ、日本人はどうして、そんな世界にもまれな平和国家だってことを誇りにしないんだろう?」
と疑問に思う。
けれど、ここで、
「だって日本は第二次世界大戦で負けたし、アジア各国に「迷惑」をかけたし・・」
で思考停止してしまう。

「実際に日本が戦争をおこなった期間が歴史を通して他の世界の国とは比較にならないほど少ない」
という事実と、
第二次世界大戦を行ったこと」
に、世界の国での「平和な期間比較」という観点から見た時、なんの関係があるのでしょうか?

日本のみならず世界中の国が戦争をしていて、そもそも大東亜戦争を仕掛けてきたのは悪辣な怠け根性と強欲で、有色人種を動物だと断じて奴隷にすることを確実にするため戦争を仕掛けてきた欧米が原因です。

なのになぜ、「日本」が「迷惑」をかけたなどと思うのでしょう?
なぜ日本が、大東亜戦争を戦う羽目になったか、それを正確に理解している日本人はものすごく少ない。

なぜでしょうか?

世界中何処の国でも、自国の歴史を勉強するのに、遥か古代のよくわからない歴史に延々と時間を賭けて、近現代史は時間切れでほとんどやりません、なんていう国はまず有りません。
しかるに、日本では古い方から順番に歴史を勉強することになっており、挙句たいていは時間切れで現代史なんぞは数時間教科書を読むだけで終わり、などという授業が珍しく有りません。

なぜ、近現代史を教えることがおろそかになっているのでしょうか?

隣のキチガイ特亜三国、さらには、欧米のダブスタ土人のくせに他民族を見下し差別する国家。
これらの国家による、日本という高貴な国の歴史と民族性を自分たち土人レベルに何とか貶めたい、日本人に比して野獣としか言えないレベルの欧米特亜の民族性に気づかないようにしなければならないという、おぞましい洗脳工作によって
「日本は戦争ばかり行う残虐な国」という印象(事実の真逆)
を持つよう、洗脳されていたからです。

この洗脳にリアリティを持たすため使用されたのは、当然江戸の後の明治、昭和における数々の戦争です。

「日本が戦争をした」と言う事実は有るので、「そこのみに」スポットを当てて、自分たちに都合の悪い情報、

「戦争は相手が必要。一国ではできない」
「なぜ戦争になったのか」
「他の国は日本よりはるかに戦争している」
「他の国は日本と違ってルール無用の軍人による略奪暴行虐殺強姦が常識」

という事実を隠すために、以下の様な洗脳工作を行いました。

「圧倒的多数の人非人行為には全く触れない。情報を隠す。真実を伝える書籍なども発行しない、させない」
「教育現場でも事実は教えないもしくは嘘を教える」

これが、「情報の隠蔽」による洗脳です。

この情報の隠蔽によって白紙状態にした被洗脳者にインプットしたい洗脳情報は、
「まるで文明人のように欧米特亜土人は何も悪いことなどしなかったがごとく、ごくまれな美談を普遍的な事実であるかのごとく伝える」
「真実を発表しようとする人間には職業上の制約をかける(解雇、閑職に廻すなど)身体的危害を加える(ヤグザに襲わせる、何故か交通事故にあう、など)などの嫌がらせ」
「真実を述べる人間は「軍国主義者」「右翼」などとレッテルを貼って攻撃し、その人の人格を貶めることでその人の発言内容に信頼性がないかのように思わせる」
となります。

こんな情報を洗脳によって刷り込む目的はといえば、勿論、日本人が欧米特亜土人に恨みを持たずに奴隷として言いなりになるよう仕向けるためです。

以前の記事でも書きましたが、洗脳するためには「無知」であるほうがやりやすいのです。

「日本人は南京で40万人を虐殺した!」

と言ったところで、

「全住人合わせても20万人しかいないものをどうやって40万人殺すんだよwキョンシーでも殺ったんか?wwその上、なんで毎年殺された人数が増えるんだよw」
「広島の原爆ですら10万しか殺せないってのに、仮に全住人全て殺すとして、どうやって殺したんだよw」
「殺した後の20万人の死体、どう処理したんだよ?ほったらかしといたらあっという間に伝染病が発生するぜw
あの当時既に「油の一滴は血の一滴」ッて言われるぐらい石油がなかったんだから焼くなんて論外wおせーて?」
「何より、あの当時日本軍の針の穴ほどの落ち度も万倍に誇張して吹聴してやるとばかりにへばりついてた人種差別主義の欧米従軍記者が何で南京虐殺の有り様を全く報道してないの?w」

などと、「知識」を持っている人間から「事実」に基づいた矛盾を突かれてしまうと、支那チョン土人のように、論理の整合性も契約の遵守の必要性もとにかく暴力で相手を屈服させればノープロブレムな社会でしか生きてきたことのないヒトモドキでない限りは洗脳など出来はしません。

「知識をもっている」人間を洗脳するためには、自分の都合のいい知識で洗脳する前に、被洗脳者の持っている既存の知識の書き換えを行う手順が増えます。
これは大変面倒な上に、常に洗脳が解けないよう、洗脳を繰り返す必要が生じます。

勿論上手な施術者が行えば、そんな手間を掛けずとも自然に洗脳が解けないようにすることは可能なのですが(というか、洗脳が解けそうになったら再度洗脳が自動で繰り返すための仕掛けを作るというか)、あいにく国民国家単位でそんな高等技術を施すには、術者の数が全く足りません。

よって、少なくとも現在の日本では、ほったらかしておいても洗脳が解けないように洗脳されることは、それこそオウムのように誘拐監禁&洗脳のプロによる洗脳と言う手段を取る以外は大変少ない、と思っていいでしょう。
ただし、洗脳者が常に洗脳の刷り込みを繰り返すことによって、洗脳者の望むヴァーチャルな世界を作ることによって洗脳が解けないようにする、浅い「洗脳」には引っかかる可能性が十分あります。

しかし、これらの「浅い」洗脳は、洗脳内容が事実に基づかない、朝鮮慰安婦強制連行や「日本人による」南京虐殺のようなデマであれば、「事実」の持つ力で、洗脳の専門家以外でも洗脳を解く事は可能なため、それほどの脅威とはなりません。
(いや、実際WGIPの結果戦後日本はこれだけの被害を被っているということも出きるっちゃできるんですが)

事実、あれだけ念の入った、洗脳の専門家を山と登用して行った、しかも占領政策を敷き焚書まで行って国家の力と軍事力というアメ公の「やりたい放題の暴力」を存分に使用した「日本悪者論」はものの見事に現在洗脳が解けていく最中です。

かつてのアメ土人占領政策のような方法を取ることは最早不可能なのですから、今後、日本にあのレベルでの洗脳工作を仕掛ける事はできません。
まして、インターネットの普及という洗脳政策を行うには甚だ不都合な(逆に洗脳に御使用できますが、特定情報以外を秘匿することが不可能なメディアなので洗脳には不向きです)世界に移行しているのですからなおさらです。

「洗脳」「情報の隠蔽」「情報の刷り込み」

戦後の日本人が賭けられた、自国の歴史についてのアメ公土人、共産支那土人、朝鮮土人による洗脳工作について、ご理解いただけましたか?

それでは次に、今回の主題、日本という国の「平和」を継続する能力に関連してご紹介する本が、「銀河英雄伝説」です。

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

以前も別記事でこの本の内容をご紹介したことが有りますが、この本は政治というものの現実を全くと言っていいほど理解していない日本人にとって、大変素晴らしい「政治」「戦略」の教科書です。

今回ご紹介するのは1巻の内容、この物語の主人公の一人、ヤン・ウェンリー提督のセリフです。

ざっとこのセリフに関するあらすじをご紹介しますと、
はるか未来、地球を捨てて宇宙に進出した人類は、民主政治の腐敗に嫌気が差して、民衆の味方として政治権力を言ってに握り、腐敗を一掃したルドルフに「皇帝」となること希望し、挙句独裁者ルドルフによる、腐敗貴族社会となってしまう。
そのあまりの過酷な社会に、身分差別のない射会の実現のため、一部住人は新天地を求めて船出し、別惑星で自由惑星同盟を設立、帝国と敵対する。

自由惑星同盟軍の若き智将、ヤン・ウェンリーが、帝国側の難攻不落である要塞イゼルローンを自分の部隊を率いて落とせ、と言う命令を受け、その作戦に不可欠な部下、シェーンコップ准将に作戦の説明をした後の二人のやりとりです。
シェーンコップは低級帝国貴族の同名への亡命者の子孫で、かなりのひねくれ者。
ヤン提督の説明を聞いた後、ヤン提督になぜこの作戦を受けたのかを尋ね、ヤンが、この戦闘で勝利したら同盟政府は、同盟側へ大規模な侵略を行うための足がかりを失った帝国に、有利な条件で停戦条約を結ぶことが可能になるから、平和が訪れる、そうしたら自分は退役できるから、と答えます。

シェ「しかし、その平和が恒久的なものになりえますかな」

ヤン「恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんな物望みはしない。
だが何十年かの平和で豊かな時代は存在できた。
吾々がつぎの世代に何か遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和が一番だ。
そして、前の世代から手渡された平和を維持するのは、つぎの世代の責任だ。
それぞれの世代が、のちの世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和がたもてるだろう。
忘れれば先人の遺産はくいつぶされ、人類は一から再出発とうことになる。まあ、それもいいけどね」

ヤン「要するに私の希望は、たかだかこの先何十年かの平和なんだ。だがそれでも、その十分の一の期間の戦乱にまさること幾万倍だと思う。
私の家に十四歳になる男の子がいるが、その子が戦争に引き出されるのを見たくない。そういうことだ」

そう、「恒久平和」というのは未だ人類にとって夢でしか有りません。
しかし、ヤン提督の言うように、
「たかだか数十年の平和」
の価値、これはその十分の一の期間の戦乱にまさること幾万倍である、というのはまさしくその通りです。
その、幾万倍の価値ある平和を日本は戦後実現したわけです。

それですら、この地球上の大半の人類にとっては実現がほとんど不可能でした。
特にヨーロッパ、インド、アフリカ、支那大陸では。

吾々日本人は、この重大な事実の意味をもっと認識しなければなりません

そもそも、ヨーロッパ諸国にとって、「平和」とは、「戦争の準備をしている時間のこと」です。

戦闘行為を続けられなくなったから、停戦しているだけ。
戦闘準備が整ったら戦争するのが当たり前。

そもそも、「戦争がない世界」というものを想像できないのでしょう。
実感として、「戦争がなくて当たり前である」
ということを信じられないのだから、現実世界もそうなります。
翻って、日本。

明治以降の土人国との付き合いで仕方なしに戦争せざるを得なくなったが、そもそも、日本人にとっては、「平和」であることが普通で、「戦争」は異常事態です。

「平和」が続くのが当然で、「戦争」やらかすような為政者は能無しだ、というのが日本人にとっての常識。

それにもかかわらず、チベット等の単に「僻地に住んでいて、蛮族に襲われる機会がなかったから平和だっただけ」
な国と違って、いざとなったら自分の国を自分で守る力は持っている。

日本こそが、真の意味での「平和国家」であり、また、その意味で世界で結為一の「平和国家」と言ってもいいでしょう。
「戦争をしたことが、国家の歴史上一度もない国」というのは存在します。
全て、とんでもない僻地の小国、資源もなく、産業もない、戦略上の要衝でもない、という恵まれた立地にある国です。
そういう国が、じゃあ、大国の都合で戦争をふっかけられたら自国を守る力があるか、というと、有りません。

「自分だけの力で食っていけて、かつ、自分の領土を自力で守ることができ、しかもその歴史の大半を継続して平和を保つことができている国」
そんな国は、世界広しといえど日本しか存在しないのです。

こんな国の国民であることに誇りを持たないなどというのは気違い沙汰です。

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