無知と馬鹿のコンボは救いがたい

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WJFプロジェクト教徒とバカの壁と洗脳と 5回目です。
前回の更新からまる一ヶ月以上経ってしまいましたorz

決まっていたことではあったのですが11月から新規PJに突っ込まれて殺人的に忙しかったのでございます。

一応コメントの承認だけは行っていたのですが、コメ返しが全く出来ておりません。。。
遅くなって申し訳ありませんが、こつこつ古い方からお返事させていただきますので、気長にお待ちいただけると幸いです。

にしても、この一月の間にこれまたでかい爆弾が幾つもありましたね・・。
特に、山本太郎なる芸人上がりのろくでなしのやらかした、天皇陛下の政治利用、それもシナ大陸のキンピラデブの件などと違って、国民に選ばれた国会議員が、己の職務というものを全く理解しないで、政治権力者ではない天皇陛下に向かって原発どうにかしてくれろ、などと直訴しやがった事件。

原発をどうにかするのは、国民からの信託を受け「政治を行うことを生業としている」国会議員の仕事、つまり己の仕事じゃ山本バカ太郎!!!

奴隷が絶対権力者にお情けを頂きたいと請願するような真似を、民主主義国家の、よりによって国会議員がやらかすなんぞ、民主主義の否定であります。
こいつの話を書き出したら本題からそれまくってしまうのでまた別記事でいつか書きたいが・・。
どなたかが教えてくださったのでWJFプロジェクトがこの件で記事を書いたというのを見に行ったら・・。
いや、今さら驚きはしないんだが。
よくぞここまで馬鹿を晒せるというような、コメントするのもアホらしい馬鹿の見本を晒しておりましたな。
例によって物事の本質から読者の目をそらす手法で、世間一般が山本バカ太郎を批判しているのは、天皇陛下への礼儀がなっていなかったからで、それは非難されるべきことだろうか、などと頓珍漢なことをほざいていました。
天皇陛下への直訴状の「渡し方」が問題だなどというのは今回の件のもののついでであって、誰もんなことを問題になぞしとらんわ。
天皇の政治利用、しかも民主主義を否定する、天皇に政治権力があり、それを「国会議員が」認めていると公の場で宣言する行為を行いやがったことが問題なのだ。
ったく、

バカも度をすぎれば立派な犯罪です。

山本バカ太郎の件については、その行為の何が問題なのかを的確に批判した(ネット上の)新聞記事他が多数あったので、それだけでも救いでしたね。

さて、本題へ行きましょうか。

前回までの内容は、

連載記事まとめ

からご確認くださいませ。
この連載ものは、
WJFプロジェクトの安倍バッシング―正しいことを言えばそれで認めてもらえると思い込む幼稚さ
の記事の、「10月10日の名無し」様のコメントに対しての記事となります。

前回は、

外国人を変えることはできないと思いマチュ、だって外国人は宗教で生きていまチュから

というアホのタワゴトについて突っ込んだところで終わっていたのでした。
今回は、その後から。

また、海外の人達をまともな生活にする事も出来ないと思っております。世界人口と限りある資源・食糧の割合から考えても、歴史から考察しても同じです。人間は、奪い合いの歴史しかありません。

・・・無知とバカのコンボは救いがたい。

例によって、ここでも自説を証明する資料の提示もありません。
「海外の人達」・・。
これには現在の先進各国も含まれてるのだろうか・・?
世界人口の推定統計数字で国連の世界人口白書によると2013年時点で約72億。
世界の飢餓人口は同じく国連統計によると8億5千万人弱だが、ここ数年ずっと減少傾向である。

大東亜戦争後、薄汚い進駐アメ公が日本の開発した品種改良作物を根こそぎ盗んで、いけしゃあしゃあとパテントも払わんと自分達で勝手に名前をつけて売りまくった、農林10号を親とする小麦の稲穂の粒の飛躍的増大+麦長の矮性品種。

泥棒アメ公は農林10号を親とし、これに耐病性を持たせて世界中に売りまくった。

結果、世界の小麦生産量は飛躍的に増大。
小麦生産量の飛躍的増大、化学肥料、化学農薬、灌漑技術の高度化により、現在の食糧生産量は世界人口を余裕で養えるようになっているのは既に世の常識だと思っていたが、私がどうやら世間知らずだったようだ。
小学校の社会科でも、「緑の革命」って言葉習わなかったかね?
アメ公の泥棒行為には一切触れていないにしても。
「農林10号 奇跡の小麦」あたりで検索してみい。

もっとも、この「緑の革命」というのも曲者で、日本で泥棒をやらかして、新品種を生み出したボーローグという学者は「緑の革命」の功績でノーベル平和賞をもらっとるのだが、(1970年)ここに、その画期的遺伝的形質を作出した日本の農林水産省の職員が共に表彰などもちろんされてはいない。
当時の世界において、小麦の品種改良でどうしてもできなかったのは小麦の「矮性化」と「多果性」を同時に実現することであった。
それまでの小麦というのはとにかく少果性で、背が高く、葉っぱがわさわさ茂るということは、実ではなく葉に肥料が必要となるということで、地力をものすごく消費するがゆえに連作はもちろんできなかった。
(今でもそうだが)
せめて葉っぱの代わりに実に肥料が行って沢山収穫できれば、と苗の矮性化と、多果性化を同時に実現するための試みが永年行われていたが、何処の国でも実現しなかったのである。
実を増やして背が高ければ、収穫前に苗が倒れて駄目になる。
じゃあ背を低くすると、葉っぱが少ないから実は少ない。というわけ。
やっとその矛盾する特質を両立させたのが、農林10号。
ところがこれは、病害虫に弱く、そのため終戦当時まだ実用化されていない小麦だった。
品種改良というのは、現代のように遺伝子操作が当たり前になってからですら、人間の思い通りになんでも都合よくホイホイ新しい品種を生み出せるものではないが、それ以前なら、なおさらすさまじい時間と労力と土地、資金を必要とする大事業。
まして遺伝子操作技術のない時代新しい品種の性質を目的に沿って出現させるのは至難の業だった。
さらに、新品種の作出に関してはその植物ごとに「簡単にできること」と、「難しいこと」が別れている。
たいていの植物は「多果性」は簡単に実現できる。
これは生物の性質として、子孫をたくさん残したいというのは当たり前の話だから当然だ。
しかし、実をたくさんつけるためにはそのための栄養がその分必要となるわけで、単純に花だけ多くなっても、結実し、発芽可能な状態まで成熟する比率が高まらなければ話にならない。
単純に花つきのいい株を選別掛けあわせしていくと、子孫は巨大化する傾向にある(当たり前だ)
葉っぱが多くて肥料喰いで株だおれが嫌だと、背が低いのを選択掛けあわせすると、今度は実が少ない。
相反する性質を持った新品種を輩出するというのは多大な困難を要する課題で、それが故に日本がそれを実現するまで、そんな都合のいい品種は存在しなかったのである。
両方の特質を持った株が産まれるまで、これはという親を延々掛けあわせては結果を見て、さらに選別しという地味な、時間のかかる仕事をコツコツと繰り返し、記録を取り、栽培方法によって結果を変えられないかと試験方法を記録しつつ試験栽培を行うという、気が遠くなるような作業の果てにやっと生み出されたのが農林10号だったのだ。
現代の新品種開発手法は遺伝子操作技術の進歩によって、「望ましい性質を掛け合わせる事」だけなら、単に雄雌の株の結実掛け合わせに頼る時代に比べ飛躍的に楽になった。
試作を作った後の性質観察試験作業は変わらんが。
が、ほんの数十年前までは、前述したような作業が当たり前だったのだ。
故に、作出品種に特許制度で保護をかけよう、というのには一定の理解を示すものでは有る。
が、これを言い出したのが強欲と恥知らずの野蛮と他人がどうなろうと俺さえ良ければそれでいいの権化、アメ公であるところがご注目。
今現在世界の大問題となっている巨大企業モンサントの強欲泥棒人非人商売の源流が、この「緑の革命」である

古い本ではあるが、種子会社の強欲商売の問題点を詳らかにした良書である故ご紹介しておきたい。
随分昔にこれを読んだ時には、農林10号の件と相まって感慨深かった。
緑の革命とその暴力」

緑の革命とその暴力

緑の革命とその暴力

もっとも、作者はインド人だが、種苗会社による既存の伝統品種に価値はないからパテントを払う必要はないとうそぶくアメ公の泥棒商売を批判しているくせに、ボーローグとその小麦についてもガッツリ記述があり、ノーベル平和賞を取ったことにも触れているのに、その小麦が日本の作出小麦の泥棒であることには全く触れていないというお笑いの内容では有るのだがw

ともあれ、世の中にはこの程度の、常識レベルの情報にすら触れることができない人がいるらしい。

私も随分と世間知らずの範疇に入るのかしらん。

この程度のことすら知らない日本人はいないと思っていたのだが。「緑の革命」って、小学校の社会科でも出てこなかったけ?
本の学校出てない人は、ホントに基礎教養レベルが低いねえ〜。
まあ、情報統制されてるような発展途上国民底辺層では知らないのがいても不思議ではないなあ 棒)
農林水産省の統計では世界で生産される穀物量は毎年多少の増減はあっても、22億トン以上。
飢餓人口が0にならないのは、飢餓が発生している国と、穀物の値段を釣り上げるためなら有色土人が餓死するぐらい屁の河童、カエルのツラにションベン程も良心に痛みを感じない人非人穀物メジャーによる政治問題であり、食料分配が機能しないのが原因なだけだ。
もちろん、鉱物資源他についても同様、つい最近日本がレアアース不要の磁石合金を開発したのすら知らんのか。
ありとあらゆる鉱物資源について、現在の先進国の生活レベルを落とさず、「今すぐ全て」代替技術でどうにかすることはできずとも、その気になれば何にでも代替方法など有ることもまた、世の常識だ。
できないのは、現状維持の方が新規の技術を使うより経済的であることが主たる理由であり、「技術的に手がないから」ではない。
ましてや、アホの朝鮮人や、シナ土人ではない日本人にとってをや。
まさか、資源が足りないって、今だに石油カルテルの手先のローマ・クラブ子飼い研究者が
「資源が枯渇するう〜!」
と喚いた報告書を信じてるとか言わんだろうな。(言いそうだ・・)

「れきしから こうさつしても おなじです にんげんは うばいあいのれきししかありません」

無知馬鹿は、もう黙ってろとしか言いようがない。
縄文時代1万3千年を通して、殺し合いによる死者や、武器が全く発掘されない日本は別格としても、土人ヨーロッパ、ロシア、アフリカ、アラブ、インド、シナなどは殺し合いの奪い合いの連続の歴史であったにせよ、その間全く平和な時代がなかったわけがない。
問題なのはそれを継続させることが難しい、ということであり、現実に平和に暮らせていた時代が有るのだから、なぜ平和を実現できたのか検証し、現実を変える為の知恵を得るためにこそ歴史を学ぶ意義があるのだ。
ましてや、日本以外でも、それらの争いから辺境に逃れて、細々とではあっても平和に暮らしてきた民族などたくさんある。
北米の原住民だとて、土民ヨーロッパ人が侵略するまでは平和に暮らしていたのだ。
奪い合いの歴史しか無い連中は永遠にそのままだ、などと決め付けることは、過去記事読めばわかるはずだが、わたしゃシナ朝鮮人ですら「絶対に無理だ」などと断定はしてはいない。

ただ、奇跡に近い確率で無理だろうと書いているだけだ。

助けたから、助けてくれる、、とは日本人特有の大変甘い、幼稚な考えだと思います。海外は過酷な条件で生きている人達ばかりですから。

土人シナチョンが雪崩を打って日本に寄生してくる前は民度世界一の日本人だけで楽しくパラダイス生活していたせいで、日本人的「お互い様」思考が人間の間に存在すると安易に考えてしまう傾向が日本人にあることを否定はしないが。

だからと言って、お育ちの良い高潔な民族を捕まえて、育ちも頭も素行も最悪の、お前さん方シナチョン他諸々連中の人格レベルがどうしようもないことを日本人様相手に自慢されても困るんだが。
こんな幼稚なことを書き込む前に、過去記事読んで、少しは

かしこくな〜れっミ☆
  *``・*+。
 |   `*。
 |     *。
 。∩∧ ∧   *

  1. (・∀・ )*。+゚

`*。 ヽ  つ*゚*
 `・+。*・`゚⊃ +゚
 ☆  ∪~ 。*゚
 `・+。*・+ ゚

夢の真昼〜「喧嘩せずにみんな仲良くというのはお互いが共通の良識を持っている場合のこと
・・単にこのコメント読んでいた時もいい加減苛ついたんだが、だんだんこの鬱陶しい幼稚な文章の添削すんのも腹立ってきたなあ・・。

あほなゆとり大学生の卒論指導する大学の先生方って偉大だわ。

忍耐力が

続きます。

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