役立たずの自己愛人間のタワゴトに付き合う必要はない

WJFプロジェクト教徒とバカの壁と洗脳と4回目です。

前回の記事で、台風のおかげで休みになったなどと書いたバチが当たったのか、今回のダブル台風の準備として、お仕事前倒し命令が発令され、
今週はえらいことになりました。(とほほ)

前回までの内容は、

連載記事まとめ

からご確認くださいませ。
この連載ものは、
WJFプロジェクトの安倍バッシング―正しいことを言えばそれで認めてもらえると思い込む幼稚さ
の記事の、「10月10日の名無し」様のコメントに対しての記事となります。

では、続き行きます!長いのでお時間の有るときに。


前回の記事で引用したコメントは、海外発祥の宗教を信仰する輩は国賊だ、という、根拠は自分の脳内妄想だけの幼稚な主張だったのですが、
この脈略のない馬鹿文章の後、これまた脈略なく話が飛んで、

日本は多くの宗教(金儲けの新興宗教が多い)に侵略されている事が1番問題だと思っております。

だとさ。
日本にとって一番問題なことねえ。
そんな難しい問題を、何の客観的証拠を伴う説明もなしに、
「私はそう思う!」
だけで断言しちゃうんだあ。

開国時からほとんど宗教ごとの信仰人口割合に変化がないと、世界中から驚嘆されている、宗教侵略耐性の強い日本が、一体いつ、「多くの」「金儲け新興宗教」とやらに「侵略」されたんだか。
「そうだね」って同意して欲しけりゃ具体的な統計数字持って来い。

おまいさんのウリナラ脳内ファンタジーじゃなく、日本国の国勢調査文部科学省の宗教統計調査あたりの数字を。

で、またもやいきなり脈略もなく、今度は私の記事の引用をしてから・・

>損だなあとおもっても、世界最高にして唯一の文明人たる日本人は、土民アメリカ、シナ、ヨーロッパ、アフリカ、アラブの連中を導き、まともな生活ができるように守ってやらなきゃならんのです。情けは人のためならず、日本に害が及ばないように、です。

全くの他人事のように(まあ、日本人でなければ他人事だが)

日本に害が及ばないように出来ると良いですね。

だと。
もしかしてもしかすると嫌味のつもりなのかもしれないのだけど。
何分、これまでの文章が洒落や冗談ではなくたどたどしい、発達が遅くて弁の立たない小学1年生のしゃべりを連想させるようなシロモノなので、そうは読めない。
で、この続きでまたもや文章読解力0どころかマイナスな能力を発揮して、

外国人を導き、海外がまともな生活が出来るよう守ってやらなきゃ、、とは、ブログ主様の驕りではないでしょうか。

ときました・・。
ええと、どうやらこのおバカちゃんは、私は、日本人が、まるでアホのアメリカ様よろしく、
「日本文明が世界最高で進んでいる、お前ら日本以外の国は遅れてる、日本式システムを採用しろ!」
などと、まるで朝鮮人のように世界中に押しかけて、アメリカ人のように教化活動しなければならない、と言っているんだと思ってるのでわ・・。

もしくは、日本が日本以外の全ての国にODAやら技術供与やらをして教育やらインフラやらまるで親が子供の面倒を見るかのごとく整えてやるべきだと言ってるのだと思ってるのでわ・・。
両方かもしれんが。

おそらく、「導き、守る」という言葉からそれくらいしか連想できないのだろうが・・。

馬鹿にもわかるように、「導き」「守る」の一例を上げておくから少しは頭を使ってほしい。

インドの地下鉄プロジェクト

トルコ「日本人を見習いたい」 被災者らが助け合い 略奪も発生せず (記事がすでに削除されているのでコピペ)

多数の死傷者を出したトルコ東部地震被災地では避難生活を送る人々がお互いに助け合い、
落ち着いた行動を呼び掛け合っている。「日本人を見習いたい」。東日本大震災で注目された
日本人の忍耐強さ、秩序を守る姿勢が教訓となっている。

多くの建物が倒壊、損壊するなど大きな被害が出たエルジシュ。千人を超す被災者がテント生活を
送る競技場では、食料配給を求める人々が整然と列をつくっていた。割り込む人はおらず、妊婦に
先を譲る姿も。

物資が不足しているとされる被災地のワンでも商店で略奪などは発生していない。

「昨晩、みんなで震災後の日本人の姿勢を見習わなければいけないと話していたんだ」。
25日午後、エルジシュの競技場で、一家7人でテント生活を強いられている被災者の一人、
イザット・アカーンさん(46)が打ち明けた。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111026/mds11102610020001-n1.htm

2002年ワールドカップ ワールドカップを開催してはいけない土人国と呼ばれた韓国と、歴史上最高のホストと讃えられた日本



懐疑論者の祈り様より
添付①:『日韓共催ワールドカップと韓国問題』
http://www.skept.org/hoki01.html

日本が教え導く、とは「日本式を押し付ける」ことでも、一般家庭のとーちゃんがニョーボ子供を養うよろしく、丸抱えで生きてく費用から住むとこから面倒見てやることでもない。

日本のように、
穏やかに平和に和やかに協力し合い、
殺し合いが日常だったりせず、
自分の欲のためだけに後先考えず木を切り倒して連が作りまくって文明終了しちゃったり、ステンドグラス作りまくって元は豊かな森だったのが野っ原ばかりにしちゃうような環境破壊もせず、
誰もが一生懸命働いて、それが国を上げての常識として尊いことと認識され、ぐうたら金利受給でのお貴族ぐらしに国を挙げて憧れることなど無論なく、
何でも世界一の品質の、生きていくに必要なもの全てを生産し、
その上、そんな生活をするのに自分たちの文化宗教を手放して欧米マンセーに生活を変えることもなく
豊かに暮らすことができるのだ
という現実を、ただ知らしめること。
それが、「守り、導く」ということだ。

自分の国でも周辺国でもそんな国は見たことも聞いたこともないし、どうせ周り中、殺しあったり略奪しあったり仕事なんてまともにやらなかったりする連中ばかり。
自分だけが頑張ったってこの世界は変わるわけはない、と諦めきっている人達に、日本の現実を見せびらかし知らしめ、自分達も日本のような暮らしをしたい、と思わせることだ。
あたりまえだが、それは彼らに(どこぞの国のように)日本語を「世界で最も優れた言語だからお前の国の公用語にしろ」だの、「日本食を「世界化」して儲けるニダ!」と日本食レストランを開くことをゴリ押ししたりすることではない。
人は、特に自分が置かれた環境が酷く、何処を見渡してもそんな環境しかなければ、日本のように天国のような世界があることなど、話を聞いても機械の中の映像を見ても信じられない。(それこそ洗脳用プロパガンダと思われるのがオチ)
だから、実際に日本人の仕事、人柄、態度に触れさせ、経験させることでしか、「そういう世界、民族が地球上に実存する」ことを信じさせることはできない。

そのため、「日本のような暮らしが現実にあるのだ」という証拠を見せる手段として
ODAがあり、
自衛隊の海外派兵が有り、
日本文化の輸出があり、
日本製品の輸出が有り、
日本国内への観光客の誘致があるのだ。

日本という国の現実を見て、ただ日本と同じシステムを猿マネしてもその国の実情に合わせて変化しなければ意味は無いし根付かない。
「日本ではこうしている」だけではダメなのだ。
「その国のもの」にならないのだ。
日本はどうして治安がいいのか。
同じような治安の良さを自分の国の実情、歴史、風土、文化という土壌の上で実現するにはどうしたらいいのか。
彼らが「現実は変えられるわけがないから何も努力はしない」から、「現実は変えられる、日本のような国の有り様を自分の国で実現したい」と心から願う為に。

自分たちで動くための「動機、目標」を「信じられる、実現させることの可能な夢」として認識させることが、「導き、守る」こと。

私は、外国人を導けるとは思っておりません。なぜならば、宗教で生きていますから。絶対的な価値観・思想を持つ外国人を変える事は出来ないと思っております

・・・利害が対立し、その上価値観も意見も違う人間に自分に協力してもらうための方策を考える事すらハナから放棄して思考停止して、なんか現実にいいことが有るのだろうか。

ほったらかしておくと目先の欲にかられて焼き畑グローバルコマースで世界中の産業を壊滅させる、自分が儲けるためには環境なんぞモーマンタイな連中が引起こす、我々日本人のみならず世界人類にまで害が及ぶ土民振る舞いを、彼らを「教え、導く」事ができなかった場合、同じ宇宙船地球号に乗り合わせている日本が取らざるを得なくなる道はこれしか無い。

戦争しかけて皆殺しにすることで止める

「外国人を変えることはできないと思います、終了!」などという脳天気な脳みその持ち主には、上記2つのどちらかを実現できなければお終いだ、という現在の危機的事態が飲み込めていないらしい。
もしくは、
「そうなったとしても別に自分はこわれた世界の中で一人ぬくぬく暮らせるに決まっている」
と思っているらしい。
どんな根拠があるのか知らないが。

ああ、もひとつ手があった。

神に祈って、地球上の圧倒的多数を占める土人行為を行っている連中がある日いきなり日本人並みの民度を持つに至る奇跡が起きることを信じる
「私は外国人を変えることなんてできないと思う(ので何もしない)」
って言うからには、3番目を選ぶんだろ−な。
どんな馬鹿にでも放っといたら状況が悪化して自身の生存すら危うくなるのがわかってるってのに、奇跡が起きて何もかも上手いこと行くのを期待して何もしないとは、「朝鮮属国5000年」の馬鹿儒教両班思想は健在だなあ・・。

「驕り」だの、「でっきましぇーん」だのという次元の話では最早無いのだ。
なぜなら、やらなきゃ自分も自分らの子供らの将来も無いからだ。

「わたちは がいこくじんを みちびけないと おもいます。 なぜならしゅうきょうで いきているからです」
・・・なぜ宗教で生きている外国人は、「導けない」のか?
「だって、がいこくじんは ぜったいてき かちかんをもっているからかえられないとおもいます」
・・・幼稚園児か!

先ほど挙げたユーチューブの画像。
自国英国では、フーリガンとして相手方のサポーターと殴り合いをするのが「常識」、そこら中にゴミを散らかすのが「常識」だった「外国人」。
「絶対的価値観を持っていて変えられない外国人」は、なんだって日本人よろしく敵同士の健闘をたたえ合って楽しく記念写真を取ったり、皆で仲良くスタジアムの掃除をしたりしたんだい?

世界中に蔓延る土人行為が常識な国家を覚醒させ、土人から人間に昇華させるのは、日本の天命。
この辺りについて、過去記事の玄奘西域記2 靖国の英霊に託されたものに、懇々と書き記したが、同じようなことを感じ取る人は私以外にもいるものである。以前から紹介したかった本をご紹介。

横森理香氏の小説は読んだことがないが、エッセイ系は多数所持している。

日本人が根拠もなく悲観的になることが幸福感を邪魔している、という、至極もっともなことを繰り返し繰り返し説いていて、別に会社、仕事命で他に目が行かない生活をすることを否定はしないから、こういう本を読んで他の視点を獲得した上で、自分の選択として楽しく働けばストレスもたまらないだろうにと思う。

この方はアメリカに遊学していた事があり、この年代の人間によくあることだが、海外は〜日本は〜という記述が多く鬱陶しいのはお約束、海外の日本とは比べ物にならないほどの後進性や、救いがたい社会的絶望性にはまったく見ないフリで脳天気にいいとこだけ眺め、日本の問題点のみあげつらう、お花畑な記述に苛つく方も多いかとは思われる。
しかし、我々は日本人であるからして、外国の社会的問題点を他山の石として学ぶ必要はあるが、外国のために、無料で改善策を提示してやる義理なぞ無い。
手っ取り早く日本をより良くするためには、外国と比して日本が劣っていると思われる部分を抽出して、改善が必要であるのか、真似をすれば日本にどのような利点が得られるのか、逆に日本に害を成すことはないのかを検討する方が我々の役に立つとは言えるw。
よってまあ、私的には、言ってることの内容が、

「日本下げをグダグタ垂れ流して、そんなことに気がつく自分だけは日本人だけどその悪口には当てはまらない、知的な私」

を演出するのが目的ではないと取れるなら良し、としているので、イラつく記述には目をつぶって頂いて、読んでみていただけると幸いです。
特にこの作者の著作全体に共通する主張なのですが、
日本人の、不幸を見つけ出して、不幸だと思うこと、忙しいと思うことで「安心」するような性質が、どれだけ日本人の「幸福感」を邪魔しているか、という点については諸手を上げて賛成。
「幸福」と言うのは、何がしかとの「比較」によってしか感じることのできない「感情」であるが、日本人は自身が「幸福」と感じることを恐れ、意識的に比較対象を、存在することのないなにか「完璧」な桃源郷と比べる以外の選択を拒否しているというのは達見である。(日本人にかぎらずこの傾向誰もが持っているが、確かに日本人はこの傾向が強いとは思う)

日本人が普段するような「心配」だの「不幸」だのは、世界に存在する国家をを俯瞰した後、日本の現状と比較すれば、その膨大な優越的事実の前に「楽観」「幸福」「優越感」「安心」「達成感」以外何も出てこようはずがないのだが、それだと「不幸」になることができないので、わざわざ有りもしない「桃源郷」と比較して「自分たちはダメだ」と思い込み「不幸」になっているのだ。この理由を、横森氏は、日本人特有の「なにか素晴らしい幸福があったら、次はきっとトンデモなくひどい不幸がやってくる、それが怖いから「「幸福」を感じることを恐れ、「不幸」になろうとする」
としていて、これまた達見だと舌を巻いたものである。

そして、日本においては「不幸が来る、そんなにうまくいくはずがない」と不幸の予言を苦虫を噛み潰したような顔で延々と述べる、役立たずの連中が「知的」な人間だともてはやされ(日本だけでなく、世界中でそういう傾向はあると思うが)、「大丈夫、うまくいく」と、現状を肯定するまっとうな人間はおつむの軽い軽薄な人間として軽んじられる、と嘆く。

過去何回か、このブログの記事で鈴木傾城氏のブログの記事を紹介したが、その際、氏の「日本はもうだめだ」系の記事は、科学的根拠も事実の裏付けもない、鬱病患者の妄想による呪いの言葉でしか無いから読まないどけ、読んだとしても眉唾しとくのが正解、と書いたことがある。

こういう、問題点をあげつらうだけあげつらい、しかもそれを、問題に立ち向かって解決するため敢えて提示するというのではなく、最後にゃ必ず
「だからもう日本は終わりだ、世界は終わりだ」
という呪いの言葉を吐く連中は、なんだってとっとと日本から出て行くなり、世界中もう終わりだなどと喚くぐらいなら、人様に呪いの言葉を吐いて気鬱にさせるような真似をしないで自分だけでさっさと首でもくくってあの世に行くなりしないのだろうか。

あれが問題だこれが問題だと、気の滅入ることばかり姑よろしく見つけてきては喚くのが迷惑行為にならないためには、喚く自分自身が当事者として、
それを解決してよりよい環境を作り出すのだ!
そのために自分も働くのだ!
という決意と、実際にそのために有効な行動を起こしている、という事実が必要なのだが、この手のグッチー共ときたら、自分では転がってる紙くず一つ拾おうとしないくせに、せっせと働く人間相手に
「そんなことをしたって無駄だ」
などと愚にもつかないケチを付けると来てる。

何のためにんなことをやらかすかというと、ぐうたらの怠け者で、問題解決能力もないけど、人様に褒め称えてもらいたいという自己顕示欲だけはそれこそ福島の穴あきバケツ状態の原子炉に放水される汚染水のごとく、汲めども尽きぬときてるからだ。
人様に尊敬されたいのであれば、人様のお役に立つよう、せっせと働いて、何がしか有益なことを成せばよかろうに、そういう地道な作業は嫌なのだ。
で、ない頭でろくでもないことを考えつく。
小人閑居して不善を為すというアレだ。
役立たずの自分を褒め称えさせるために、実際に社会のために働いている連中のやってる事を貶めて、あれができてないこれができてないと文句をつけ、問題点を指摘できる知的な自分を演出しよう、というわけだ。
問題点だけでなく、実現可能なより良い解決策を一緒に提案してくれるなら勿論、問題点を指摘することができる人間は社会にとって得難い有益な人材なのだが、文句をいうだけの人間なんぞ、何の価値もないどころが有害だということに絶対気が付かないときてる。
問題点をあげつらうだけ、文句をつけるだけの人間など、潰れたゴキブリにも劣る価値しか無いと自覚するがいい。

この、「10月10日の名無し」コメントで一番腹に据えかねたのは、この点なのだ。
何とかして日本人に「日本はダメだ」と植えつけなければという、姑息な薄汚い意図。
アメリカのWGIPにも通じる、日本に仕掛けられた薄汚い呪いは断ち切らなければならない。

呪いよけの一端として、横森氏の著作を紹介したのだが、この本の中で私が一番ご紹介したいところを引用します。

小松氣療院という気功治療を行っている、院長の小松氏のセミナーでの内容なんですが。
お断りしておきますが、私は気功とか、オカルトとかは大好きだけど、この手のことにかぎらず、科学的に否定出来ない事は否定しない、という姿勢で面白そうなことは首を突っ込むだけです。(有閑倶楽部の清四郎くんや、魅録くんな感じですな)

ハイアーセルフに私は守られているの!一緒にセミナーに行きましょう!とか言ったりはしないのでご安心くださいw

イチローが活躍してるのにも意味があるの。なぜなら、宇宙エネルギーが応援してるから」
「その意味は何だと思う?日本人が目立つことによって、世界の人の日本に対する意識が強まるの」
つまり、日本古来の神秘主義を世界に!ってことらしい。しかし、これは冗談でも何でもなく、いま世界の進んでいるところではたくさん「和」の要素が取り上げられている。〜中略だから日本の神秘主義は確実に、表面的なものから世界に広がりつつあるのである。

「それにしても今日本に生まれてきてる人は良いカルマを持ってるの。なぜなら、いまの日本は恵まれているからね。悪いカルマを持ってたら、戦争があったり貧しかったりする国に生まれてるでしょ」
そう、日本は恵まれていて、なんだかんだ言って、私達はラッキーなのである。食べるものに困ることはまず無い時代だし、昨日の爆撃で自分以外の家族全員が死亡、なんてこともないのだから。

役立たずのくせに、意味もなく自分を褒め称えてほしーと喚くおこちゃま自己愛肥大欠陥人間の戯言になど、まともな大人は耳を貸してはならない。
「グチグチ文句をつける前に、手を動かさんかい!」
一昔前の大人の対応を思い出していただきたい。

たどたどしい幼稚な根拠なしの脱力主張はまだ続きます。

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