本年書いていきたい記事

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遅ればせながら

明けましておめでとうございます。
本年も皆様方と日本にとって良き年でありますように。


私は、学生生活を卒業して以来毎年、年内にやるべきことを全て終わらせ、正月自宅もつつがなく終了して、大晦日に優雅にシャンパンなぞ開けつつごちそうを食べながら年越しをしたいと思っているのに!

1年の例外もなく、大掃除、最後のゴミ出し、お節、お飾り、新年のごちそう作り、買い出し、年内に終わらせたいと毎年思っている家の補修でドタドタ走り回って疲労困憊して、お節の味見のつまみ食いで年越しのごちそうの代わりとし、終わりきらなかったあれやこれやを20:00ぐらいで諦めて、年越しそばを食べるべく(作ってやるべく)妹宅(TVがある)に出かけるという情けない年越しを致しております。

昨年は自宅(TVなし)で、とうとう年越するはめになり、ラジオで紅白とゆく年くる年の中継を聞いていたのですが、紅白は最早何も言うまい、昨年の行く年来る年の除夜の鐘の寺中継。

怒髪天を突くとはあのことで、よりによって番組の殆どを朝鮮寺のクソ住職のタワゴトを中継して終わるという暴挙をやらかしましたな。

今年はどうだ、と見ていたのですが、紅白と一緒に綺麗さっぱりゴキブリ駆除がされていたおかげで、新年早々怒りで憤死しそうにならずに済ました。

誠にめでたい限りです。
今年は良い年になることでしょう。

昨年は本当に、いい意味で激動と言っていい年でしたが、安倍政権の安定感極まりなく、安心してまともな政治が行われるという実感が有るというのはこんなにも心安らかになれるものなのだと幸せを噛み締めております。

昨年は、最低でも毎月必ず記事の更新をしてすべての月に記事があるように、と目標にしていたにも関わらず、11月に痛恨の記事0となってしまい、この目標は今年に持ち越しです。
1月に最低でも10位は記事を出したいものでございます。

さて、記事の題名に有りますように、今年、このブログで書きたいと思っている記事について少し予定を。
主に、政治・経済・社会についてのことですが。

まず、
玄奘シリーズの完結。
この本にここまでこだわっているのは、この本の内容に、「政治」と「宗教」というものの現実と、それとどのように付き合っていくべきなのかが大変秀逸に描かれているからです。
「宗教」の部分については、ほぼ昨年の記事で書き尽くしたのですが、「政治」とはなにか、「政治家」とはなにか、そして、国民が「政治」とどう向き合うべきなのかについてまだ全く書ききれておりません。
風雲急を告げる日本の政局を鑑み、この本の内容はぜひともご紹介したいところです。

二番目、
差別シリーズの完結。
これは、WJFプロジェクト批判の最初の記事にアホ丸出しなコメントを書いてきた差別イクナイ!お花畑さんの批判にお応えして、というか、待ってました!ktkr状態で書きだした記事ですが、書いてる内にコメントの批判部分に対する回答は終わってると思うのですが、その他の「差別」に関することで書きたい内容がどんどん増えてしまいまして。
障碍者差別」「売春」に関する蔑視についての見解、そして「移民」への蔑視についての見解。
「移民」についての見解は、日本国内のみならず、アメリカなどの「移民国家」というものの成立、そして「多文化共生」などというお花畑バカの幻想と、ご都合主義の西洋土人どもが創りだした「人権ごっこ」の結果としての、国連主導の「発展途上国は援助しなくちゃ主義」がもたらした国家破綻について書きたいと思っています。

3番目、
WJFプロジェクトをネタにした、「あからさまな(へたくそな)洗脳手法の見分け方」と、「あからさまではない(上手な)洗脳の例示」
マスゴミが、中共やアメ公共の洗脳機関だということはだいぶ日本国民の一般常識として浸透してきてはおりますが、幸い、「WJFプロジェクト」という、下手くそな洗脳手法の見本を晒しているブログと、私のライフワークである、アメ公によるWGIP解除の良きサンドバックとなりうる、「上手な洗脳手法WGIPによる日本ダメだ洗脳記事」のオンパレード、鈴木傾城氏のDarknessの記事という素晴らしいサンプルがありますので、これらを例にして脱洗脳セミナーをやっていきたいと思います。
これに加えて、WGIPの脱洗脳作業者と思われている苫米地英人氏の、むちゃくちゃな洗脳論述についてもツッコミを入れていきたいと思っています。(去年もできれば書きたかったんですがね・・)

とは言え、「洗脳」が解けただけでは、次から次へと新手の洗脳の罠にコロコロ転がされてしまいます。
「洗脳」を防ぐための一番の防御の第一歩は、「正しい知識をもつこと」です。
嘘を信じ込ませようとしても、それが嘘だと「知識」を持っている人間を騙すのは、容易にはできません。
「知識」を持たないバカは、大したテクニックがなくとも騙せます。
WJFプロジェクトの記事に集う、彼らが言うところのB層のように。

バカは、ダマされてもしょうがないのです。
よって、ダマされないために、「政治」というものがどういうものなのか、「経済」とは何なのか。
これを正しく理解するため、正しい知識、情報を持ちましょう!
正しい情報を見分けるための技術をみにつけましょう!

4番めとして、
「経済とはなにか」を書いていきたいと思います。
現在の世界経済の中で、重要な役割を果たすプレイヤー、言い換えると今後繁栄を期待できるプレイヤーは、極論を言うと日本だけです。
これに追加して、どうにかなるかもしれないプレイヤーとして、アメリカがあります。
ヨーロッパは、ユーロが解体されるまでどれだけかかるか、ということしか考えるべきことはありません。
あの地域には今後発展していくという要素が全くなくなってしまいました。
アホな「多文化共生主義」とやらに侵されていなければ、ユーロ解体後、成熟した先進国として細々と、静かで質素だけれど文化的な生活を送っていけるはずだったのですが。

今、世界は史上何度目かの、しかも史上最大規模の「民族大移動」という歴史的事件のまっただ中にいるのだという分析がまるで出てこないのは異常なことです。

「西欧の没落」を避けるための最後のあがきであったユーロが、識者の観測通り、歴史に残る大失敗となることが明白となった今、ヨーロッパに関しては、どうやって「民族大移動」による災害を取り除くか、と言う事意外考えるべき事案はありません。

今後数百年に渡り、世界文明の中心地となるのは紛れも無く日本であり、アジアとなります。
この辺りの歴史の循環について紹介したい、日本の歴史学者の本があるので、これに絡めて記事を起こします。

日本文明を受け入れる国は今後繁栄の輪に入っていきます。
とは言え、「日本文明を受け入れる」とは、「日本人の民度を自国に導入する」ということですので、これを実現できる国は、アジアの中でも数カ国しかありません。
そうそう簡単に「西欧中心からアジア中心の時代」には転換できないでしょう。

繁栄と滅亡の転換期に来ているアメリカ。
アメリカという国は、本来、その潜在能力からすれば、こんな苦境に立つはずのない国なのですが。
次の政権で、ユダヤ資本の、恐怖の記憶からくる臆病者のイナゴグローバリズムの悪夢から自分の国をとりもどすことができれば、もしかすると、再浮上できる可能性もなくはありません。
働かざるもの食うべからず、の、ヨーロッパの身分制を否定し、自分たちの国を作るため自ら汗を流すことをよしとしたあの精神は、今でもアメリカ国民の多数に受け継がれてはいます。
ただ、政治、経済、マスコミの中枢が、「全て」ユダヤ系イナゴグローバリストに乗っ取られているので、これを暴き立てた上で金融主義を捨て、革命的手段でユダヤ系を追い出すことができなければ復活は無理でしょう。
そんなことができないように、愚民奴隷化政策はガッツリやらかされて、まともな本など読めない愚民ばかりに成り下がっているのですから、国家の問題点を詳らかにした上での国民革命など望み薄です。
散発的な暴動や、内乱によって徐々に衰退していくのではないかな、と思います。
何やら歴史や、政局の話になっていますが、政局を理解せずして経済の話などできないので。
これらを前提とした上で、「金融」「貨幣経済」というものが、「必要なものだ」と洗脳されきっている現状について、丹念に説明をしていきたいと思います。
現在の日本、及び世界は、「金融」「貨幣経済」というものがなければ生きてはいけないのだ、と無条件に信じこまされ、グローバリストの手の上できりきりまいしていますが、本来、特に日本のような国ではもう、貨幣経済など必要ないのだ、というところまでぜひとも説明したと思っております。
いや、別に社会主義者ではありませんがw
財政再建」を錦の御旗に嘘は百を並べる国賊ノーパンしゃぶしゃぶ省(財務省)の陰謀も、ガッツリ書いていきたいところです。
その上で、日本の経済は何の問題も心配もないこと、その気に慣れば今年のうちにでもGDPなぞダブルスコアで差をつけて世界一にすることなどお茶の子であることなども書きたいですw。


5番目。
何より大事なこと。

日本が、この先どうあるべきなのか、ということ。

政治がらみの評論家その他が全く言わないこと。
これが、

「日本は、今後どのようにあるべきなのか」

ということです。

政治家なんぞは、やれ安心できる国だの、戦後レジームからの脱却だの、年金がー財政がーなどと瑣末なことを言っとりますが、んなことは、段階として、第一目標を設定してから、そこから派生する二次三次目標です。

私の子供の自分には、盛んに「もはや戦後ではない」という言葉があちこちで聞こえてきました。
バブルの時代もです。
前の戦争は、日本が生き残るため、白人の植民地支配を打ち破り、新しい世界を作り上げるため必要な歴史の階段でした。
我ら日本のご先祖様方は、その歴史の課題を克服し、「地球の歴史」というゲームのステージを一つクリアしたわけです。
その後、地球上の全ての国は、「地球の歴史」ゲームの次のステージにいます。
その中で、日本はまず「日本の歴史」小ステージの、「戦後復興」「日本経済大国化」イベントをクリアしました。
これが結構キツイイベントであったので、これをクリアした後、次に何をすればいいのかわからない、というのが盛んに言われたのがバブルの時代だったのです。

豊かにはなった、金はある、だけど何か満たされない、次に何を目標にすればいいのか。

これがバブル時代は盛んに論議されていたのに、バブルが弾けてその後始末という、クズイベントをこなしている内に、本来向かうはずの次のイベントを、日本国民というパーティ全員で確認する機会を失ったまま、ズルズルとこの平成26年までやってきてしまったのです。

そもそも、これらイベントをこなすのは何のためかというと、「日本の歴史」小ステージをクリアするためです。「日本の歴史」小ステージをクリアするのは何のためかといえば、「地球の歴史」ゲームをクリアするためです。
日本という国は、鎖国の後、白人の脅威を退ける必要がおきるまで、「地球の歴史」ゲームで、他のゲームとリレーションする必要のないイベントをこなしていました。
それも勿論、「地球の歴史」ゲームに必要な、クリアしないと他のステージが進まないものではあったのですが。「日本文明」を確固たるものにし、次のステージのために日本国民を世界の土人戦争から守る、というステージだったのです。

以前の記事でもちらりと書いた事ですが、「日本文明」に地球が求めている役割。
日本という国が果たすべき、次のステージは今、安部首相が誕生したことで急展開で始まっています。

「地球の歴史」ゲーム、第何ステージかはわかりませんが、「人類が、殺し合いと略奪と不信の土人から脱して、日本文明という、信頼と助けあいの文明人に回帰する」ステージです。

現生人類がアフリカから地球の各地へ拡散し、生き残った理由は、「奪い合い、殺しあう個体ではなく、分けあい、助けあう個体のみが生き延びることができた」という事実があります。
これが、日本と、その他一部を除き、人が増え、文明が進むに従って現在のような弱肉強食の土人文明になってしまった。
人類が繁栄することが可能となった理由、他者を見つけたら殺し奪うのではなく、信頼し、助け合い、分け合う集団のみが生き残ることができたというところへ戻すこと。
本来のキャラ設定に戻すための処方箋をもっている魔法使いが日本人と日本文明なのです。

この、「地球の歴史ゲーム」の意図をまず理解し、そこから次元を下げて、では、日本という国と世界の国々がこのゲームをクリアするためにどうしたら良いのか。
この為の作戦は、この記事を書くときにまた詳細に書きますが、さらにもう幾つか次元を下げて、日本という国はどうあるべきなのか。
というより、国というものはどうあるべきなのか、をまず考えること。
国とはなにか、必要な物なのか、それは地球上のすべての人にとって同じ価値なのか?
・・・そして、日本という国は何なのか、どうあれば日本といえるのか、どのような日本であれば日本国民は幸せなのか?
日本人が幸せである、それを実現するためには現状と理想との比較が必要であり、実現できていない理想の部分をどうやって実現するのかという計画が必要となりますが、そもそも
「どうしたいのか」「幸せとはなにか」
が、日本国民の間で共有されていないことには、何も始まりません。
まず、我々日本人はこれを明確にし、かつての戦後復興が国民全員の総意からくる目標となったように、共感を持って共有しなければゲームを始められないのです。
そして、自分が今いるゲームのステージが何なのか理解することもできないまま、ただ目の前にやってくるイベントを、それを片付けたらどこに行くのかもわからないまま、無目的に片付ける日々を続けていては、「幸福感」も「達成感」も感じることはできません。
けっか、世界で最も恵まれて豊かな、最高の文化を持つこの国で、自ら命を立つ人間が年間3万人を毎年超えるなどという有り様になってしまうのです。

安部首相は、「日本をとりもどす」という、一応の目標を国民に提示しました。
しかし、「日本をとりもどす」という、その状態を、国民は具体的に想像することができてはいません。
当り障りのないところだけを言うと、政治家の選挙運動のような陳腐なものになってしまうし、これまで述べてきたような、最終目標、「日本文明を世界に拡散して平和の実現」なんてことを言った日には、土人白人やシナチョン土人どもから日本の帝国主義の復活だなどと喚かれること必至です。

言えないのです。

よって、国民の側から、向かうべき方向について、声を上げ、共有し、
「これだよね!」
と政治家に届けなければならないのです。
今現在日本が置かれた状況は、そういう状況です。

書いていく記事の予定、と言って書きだしたのですが、本番記事のような内容になってしまいました。

まあ、新年最初の記事の、意気込みということで。


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