在日シナ・朝鮮人を日本から駆逐せねばならない理由とその方法〜謝ることが「可能」な日本人と謝ることが「死」を意味する世界の殆どの民族

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呆韓論 (産経セレクト)

呆韓論 (産経セレクト)


終わらせていない連載物がどんどん増えるんですが。
在日シナチョンをどうやって日本から駆逐するのかという件について、大きく分けて
1. 在特会(のような過激な運動)を支持する系
2. 在特会のような過激な運動をやるとかえってふりになるから妖精ブラウニー日本人方式でハブにしろ系
3. どちらも必要だ系
に分かれて不毛な論議をしているのがもどかしく、この件について書いてみたいと思います。

過去記事をお読みになっていただけている読者の方であれば、私がバリバリの嫌 朝鮮・シナ・欧米・アラブその他の土人行為を行う国々 
の人間である事はご承知であろうと思います。
単純にシナチョン以外もほとんどまとめて土人呼ばわりである理由は過去記事の差別シリーズをお読みいただきたく。

私は上記3つのカテゴリの中のどれに入るのか、というと3です。

まあ、両方やったらそれで、と言う単純な話では有りませんが、少なくとも2をやるだけでは「絶対に」(私はめったに「絶対」と言う言葉を使いませんがこの件については自然現象レベルの論拠を担保できるので使用します)シナチョンを日本から追い出すことなど出来はしません。

ただ、1を行なうにしても「効果的なやり方と、国民の状況を観察しつつ対応を変化させる」事が必要です。
自分の「愛国信念」とやらだけが大事でとにかくワアワア「運動」をやることで自己実現の代償行為にしているような輩は、そのうち自滅するでしょう。

私はとにかく徹底した現実主義者であり、観念論をこねくり回すのは暇な時の遊びなら付き合いますが、現実に起こっている問題に対してグダグダ文句を垂れるだけ、と言う連中が大嫌いですし、観念論で現実を見ずに「こうなるはず」ファンタジーに酔っ払う人間も大嫌いです。

1のみでどうにかなる、2のみでどうにかなる、というのはどちらも「現実の行動を起こしているとしても」現実を見ない観念論者なのです。

何故私がそう思うのか、現実にどのような手順でどのような対応をすれば「実際に」在日連中を日本から駆逐できるのか。
これについて、ぼちぼち書いてまいります。

第一回目は一見、在シナチョン駆逐作戦の内容とは関係無いようなことに思えるかもしれませんが、のちの記事をご理解頂く上で必要な下敷きとなりますので、お付き合いくださいませ。

では、本題。

謝ることが「可能」な日本人と謝ることが「死」を意味する世界の殆どの民族

嫌韓・シナ保守層に於いては、日本という国を守りたいと言う大枠は同じでもそれを実現するための方法論や、あるべき日本についての定義は様々です。

これは当たり前の話であり、あるべき最終形について全く見解を同じくしていている人間同士でも、それを実現させる手段となると意見をことにするなどというのはありふれたことです。

「君の意見には不賛成だが、君がその意見を述べるための権利は命をとしても守る」
ヴォルテールが言ったと「される」この言葉を持ち出すまでもなく、(誰が言ったかということではなく、その内容があまりに素晴らしかったが故にここまで人口に膾炙しているのでしょう)他人がどのような意見を持っていたとしてもそれが犯罪行為、社会儀礼上受け入れ難い振る舞いに類されるようなことでない限りは、自分と意見をことにするが故に他者を攻撃するというのは唾棄すべき振る舞いです。

過去記事で繰り返し、他人の意見が自分と違うがゆえに「異端」(レッテル貼りなどを象徴する用語として使います)として攻撃する行為は、世界各地で現在も続く宗教による異端である他者への「人間ではないから何をしてもよい」と言うケダモノ思想とその虐殺蛮行につながる危険思想である、と述べてきました。

別に、自分と意見をことにする人間を批判することが悪いというのではなく、批判するのであればその内容は論拠を提示し、客観的にみて論理的、科学的である必要があるし、それが出来ないのであれば議論の上では負けなのです。

別に某かの議論で負けたからといってそれでその人の人格が否定されるわけでは無いのですが、往々にしてこの言論議論上のルールというものを理解できない輩は論理的反論ができないとなると、元の議論とは関係ない話に議論をすり替えようとします。
「議論」を何のためにするのかと言ったら何がしかの問題についてより良い方策を探る、というのが目的であり、議論の内容が実務上の決定を要するようなものではないのであれば、言葉による遊びとしての側面もあるのですが、この手の議論内容のすり替えを延々とやらかす輩というのは議論に負ければ自分の存在も否定され、多大な現実上の不利益を被ると思っているのでしょう。

まあ、議論で負ければ「現実上の不利益」を被る案件があるのは事実で、外交を筆頭とする政治、更には企業経営上の折衝、裁判などはその筆頭と言えます。

「負け」を認めると、その人間は「勝った」人間その他によってありとあらゆる実害を被る事が実際にあるからこそ、筋(論理)の通らない論点すり替えマジェマジェ議論を相手が根負けするまで延々と続けようとするのです。

日本人、日本の文化においては自らに客観的な非がある場合にそれを認めず、前述のようなマジェマジェ朝鮮的屁理屈で責任逃れをしようとしたなら、その人間はヘタすれば一族郎党、朝鮮人的ろくでなしとして烙印を押され、シナチョン土人どものように実際に一族郎党芋づる式にまとめて虐殺などはされずとも、まともな婚姻先を見つけることが出来ないとか取引先に干されるとかしていずれ一族まとめて消えていく運命となります。

そして、それは日本人であれば全国津津浦浦まで共有されている社会規範であり、常識であり、国の法の根幹です。

だからこそ、日本人は自らの非を安心して認めることができるのです。
自らの非を認めることで、「禊」とし、適正な代償を払うだけで済み、過ちを犯した人間以外への社会からの非難も最小で済む。
過ちを潔く認めることにメリットがあるからこそ、日本人はそれを行なうのです。
勿論日本人的美学、道徳観がその根底にあるのは当然なのですが、それを社会全体で共有し、それを実現することで利点が有るのでなければ現実世界でそれが実行されるはずが有りません。

これは原因と結果がループしていて、日本人の美意識が非を認めることを「善」としているからこそそれを行なうことで現実に得があり、得があるからこそ美意識を貫くことが可能となる。

日本以外の殆どの国、例えばシナ朝鮮、アメリカヨーロッパ、インド。アラブ諸国等などの世界の殆どの国はその逆です。

潔く非を認めるなどというのは「バカ」の象徴であり「脆弱さ」の証明である。弱いものは搾取されるのがその社会的常識であり、故に潔く非を認めるような輩は社会全体から一族郎党搾取され、生き残ることが出来ない。
故に、嘘をつこうが論点すり替えでマジェマジェしようが体力の続く限り絶対に非を認めない人間が「強い」、望ましい人間とされる。嘘をつき、自らの非を認めないことで「得」をする。故にそれが社会規範となる・・。

シナ朝鮮人は確かにそうかもしれないが、欧米などはそこまで酷くないんじゃ?
という世間知らずの方がいらっしゃるかもしれませんが。

基本的に欧米先進国連中にしてもシナチョンと思考は全く同じです。
一見違って見えるのは、シナチョンと違って欧米の連中には中世を通して培った戦争の後始末を円滑に行う技術としての「議論」と「法」の守り方と破り方のルールが存在するからです。

どういうルールかというと、欧米のとてつもない権力者については金の力で裁判で「必ず」勝つことができるので何をやっても無罪放免になるが、金の力でどうにもならない一般庶民に対しては、嘘吐きマジェマジェ議論をふっかけてきても論理と証拠で撃破した上で、公的権力とそれを守らせるための武力によって法を守らせる、というものです。

よって、シナチョンのように一般庶民に至るまで全て袖の下でどうにでもなる無法地帯よりは一見マシに見えます。
とはいえ、その『マシ』な状態は前述したように公的権力とその裏付けたる武力によって強制的に守っているだけなので、押さえつけている「武力」がなくなると、とたんにシナチョン国と変わらない土人国家の本性がむき出しになります。

いい例が、ハリケーンカトリーナの際のニューオリンズとか、ロンドンやらフランスやらでの暴動とかですね。

この逆の例が日本です。
日本における治安は軍隊だの警察だのの力で守られているのでは有りません。
国民の道徳、美意識、社会規範によって守られている。
故に、はるか昔の関東大震災でも、阪神大震災でも、東日本大震災でも、別に治安の問題は発生しなかった。

火事場泥棒やら、放火やら、強姦やらをやってたのはどいつもこいつもシナチョンと土人外国人ばかり、と言う有り様です。

幸い連中は圧倒的に数が少ないので、日本という国を自国と同じだと浅はかにも考えて火事場泥に精を出すような土人どもは地域の結束によって成敗されます。

が、土人国からわらわら移民など入れた暁には日本において土人国の社会が再現される事態になります。

全く冗談じゃあ有りません。

現在竹中平蔵売国奴を筆頭とするグローバリストの手先共が手を変え品を変え日本の文化を己等の強欲焼き畑泥棒商売のために破壊すべく、移民解禁しようとやっ気になっておりますが、世界最高の民度を誇る我ら日本国民のほぼすべては移民に反対です。

理由は簡単で、諸外国の移民の土民振る舞いをみて、夜道を女性が一人で歩くことも出来ず、家の窓という窓を鉄格子で護衛しなければならないような社会になどしたいというようなキチガイ竹中のような考えを持つ人間は日本にほとんどいないからです。

日本に移民を入れたいなどという輩は自らも犯罪者というような連中でしょう。

在日しな朝鮮人を日本から駆逐しなければならない理由はまさしくこれであり、そもそも特に在日朝鮮人などというのはその出自からしてほぼ全員が犯罪者です。


高市早苗 在日朝鮮人強制連行のウソを論破 平成22年3月10日1


戦後のドサクサに紛れて日本に不法入国した挙句、日本人の土地を不正に奪って居着いた強盗とその子孫がほとんどであり(日本に売春しに来て日本人をたぶらかして結婚に持ち込んだ挙句住み着いた合法的シナチョンはもちろんたくさんいるのだが)、こいつらが日本に存在するだけで日本という国の相互信頼性が破壊され、治安が悪化するのですから、国を挙げてこれ以上繁殖させること無くすみやかに害獣の住処に駆逐しなければなりません。

相互信頼性が破壊されるなんて、大げさじゃない?
と思われますか?
祖父が在日であることを隠して婚約しやがった朝鮮人女を朝鮮人だとは知らなかったので、そんなヒトモドキとしてお出自が明らかになったからと婚約破棄したお陰で裁判ざたになった兵庫の男性市議の件をもう忘れたんですか?

最早、日本人はうっかり恋愛も出来ない有り様になっているのです。
結婚しようとなったら、お互い興信所にかかって自らの出自を証明する用心が最低でも必要となってしまっている。
興信所に頼んだところで、下手をすると他人の戸籍を乗っ取った背乗り在チョンかも知れない。
これが、日本社会の相互信頼性の破壊でなくてなんでしょうか。

八百万の神々のご加護か、ここに至ってやれ可哀想だの人種差別だの(なんで同じモンゴロイドの間での差別が「人種」差別なんだかw)お花畑を抜かしていた日本人も無理やり目を開かされ、危機感を抱かずに入られない朝鮮ゴキブリヒトモドキの実態が連日テレビで特集されるような事件が次から次へと発生し、在日シナチョンを駆逐するために絶対に必要な、在日シナチョンは、人間ではなく日本人の道徳心と美意識、社会性とは相容れないヒトモドキであるから、人間とはきっちり「差別」し、害獣ヒトモドキの住処に追い返さねばならない、と言う共通認識が生まれつつ有ります。

実際に在日ヒトモドキを強制送還するにはまだ道のりは遠いのですが、既にプロジェクトはスタートしたと言っていいでしょう。

戦後長いこと、プロジェクト自体をスパイ行為のようにアンダーグラウンド論議しなければならなかった時代に比べれば素晴らしいことです。


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