日々の生活をホテルぐらしの品質にして過ごす

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シンプル&ラグジュアリーに暮らす

シンプル&ラグジュアリーに暮らす

現在とにかくアホみたいに仕事が忙しいのですが、ここで忙しさを理由に家事に手を抜いたら最後、一気に汚部屋とまで行かずとも、平日+週末を使っても復旧する気力がない状態にまで生活がすさみ、更にその荒んだ生活のせいで忙しさを乗り切るための活力が削がれる負のループに突入することがわかりきっているため、

不退転の覚悟で

最低でも週に一度はルンバ君に働いてもらい
毎日必ず食器洗い機を動かし
毎日台所の何処かしらをウェットシートで拭いて
毎日何か一つは料理して半分とりおき&詰めるだけ弁当の具材にし(毎日弁当を作り)
最低1日おきに洗濯機を回して
週に一度はガス台を磨き
週に一度はシンクを磨き
週に一度はティーポットのたぐいを漂白し
週に一度は冷蔵庫をアルコール拭きし
週に一度は玄関をボロでざっとふき
週に一度はサッシの溝をボロでふき
週に一度はトイレ掃除し
週に一度は洗面所回りを掃除して
週に一度は風呂場徹底掃除
週に一度はゴミを捨て

という生活を続けていたらば、

暇な時より家綺麗になりましたとさ

人間、やればできるもんですわ。
実際、上に上げたことって以前の記事でも書きましたが、毎日全部やったとしても1時間かそこらでできるのですよ。
半分以上は週一でいいということにしてるので、やってみたら楽勝でした。

なんでこんなに家が綺麗であることにこだわるのかって−と、忙しくてこころがささくれ立ってる時に汚い家で、ジャンクフードや外食ばかりでという生活してると、

こころが死ぬ

もう、鬱病まっしぐらですね。

それに、まともなもん食ってないと、若いうちはまだしも、ある程度年齢行ったらもう、保たんのですよ。

私は元々子供の頃からそんな頑丈な質ではなくて、特に大きな持病はない代わりにどうにも体力がない方で、気をつけて暮らせば全く健康なんですが何の準備もなくいきなり体力使うような生活するとたちまち寝こむという体質。

故に、そのような体質を補うべく、食べるものにはほんとうに気を使って行きてまいりました(単にまずいものが嫌いだというのが大きいといえば大きいのですが)

私は、楽しく美しく幸せに暮らしたいのです。
他の記事でも書きましたが、では、自分にとっての幸せとはなにか、といった時、趣味の範疇においては人によって差はあるでしょうが、生活の基本の部分については人類全体でほぼ共通するはずです。
それが、日々の生活をホテルぐらしの品質にすること。

ホテルでなくて旅館でもなんでもいいんですが、うっとりするような豪華にして美しい物に囲まれて暮らすことです。
勿論、家具、食器、花、風呂桶、部屋のしつらえその他の好みは人によって様々だとしても、それらの有り様がホテル何み清潔で、整頓されていて、品質が高く、美しく、そこで過ごす時間が、その舞台装置であるがゆえに幸せに感じられるレベルの品質を持っていることは万人に共通する「幸せ」の条件だと思うのです。

よって私は、子供の頃から、消費型の遊びにお金を費やすよりは、日々の生活の質を担保してくれる家具や、食器、しつらえ用の布の類にお金をかけてきました。
(勿論それ以外には全くカネを使わないというわけでは有りませんでしたが)

今回ご紹介する「シンプル&ラグジュアリーに暮らす」と言う本を本屋で見つけたのはもうかなり昔のことですが、こんなにも自分と同じ考えを持った人が存在したのだ、と嬉しく思ったのを覚えています。

もっとも、作者の木村理沙子氏の室内装飾の好みはどこまでも洋風であり、私の好みとは相容れないものでは有りますが、その分野での美的程度は大変高いものだと思います。

一回こっきりの海外旅行に100万単位のお金をかけて、豪華なホテルで数日間過ごして、帰ってきたらボロいアパートで、旅先で滞在した5つ星ホテルとは似ても似つかない安物の家具に囲まれ、銀行の粗品のタオルで洗顔し、薄っぺらいスーパーの安売りのバスタオル、化繊のバスマット、薄汚い風呂場、台所、床に散乱するモノの山、食卓の上は物が乗っていないことがなく、せんべい布団は万年床で、お世辞にも美しいしつらえといえるようなものは全くない無秩序な家の中・・・。


おおお、ぞっとします。
で、こういう部屋に住んでいる連中がこぞって言うのが、
いそがしい
だの、
家具やら食器やらに掛けるかねなんて無い
だのと言うタワゴトです。


そのくせ、だらだらネットしたり、くだらんSNSの返事を延々何時間もぽちぽちやったり、コンビニ弁当やらペットボトルのお茶やらファミレスの決して安くないくせに全然豊かな気分になれない食事を毎日してたり、使い切れないほどの化粧品を買っていたり、一度も来たことのない安っぽい洋服を服塚ができるほど買っていたりするのですわ。

カネがないって、そりゃー、
たいして広くも綺麗でもないけどバカ高い東京の賃貸住宅の家賃に月8万も10万も(コレでもせいぜい6畳一間に台所、風呂トイレ別なら御の字、ベランダついてりゃ御の字、というのが東京の賃貸事情です。築年数30年以上といかのボロアパートで駅から10分以上歩くようなとこなら6万ぐらいでもあるかもね。)払って、その上そんなとこで暮らしてるってのにやれグッチだ、ヴィトンだとどうみたって品質と価格が見合っていないだっせえブランド品の(何故かバッグと財布ばっかり)買ってりゃ、金なんぞ無いでしょうな。

つまるところ、やる気なのですよね。
この本は、著者の「2つの寝室」を持つコンクリ高層長屋の(私は、コレを日本語で一般に意味する「マンション」という言葉がだいきらいです)、寝室の写真、それも著者のこだわりであるベッドとその回りのしつらえを、沢山のベッドリネン、クッションカバー、カーテン、ソファカバーでガラリと模様替えする夢の様なしつらえを堪能できるます。

でも私がこの本を繰り返し何度も読むのは、インテリアショップ勤務で「毎日12時間から15時間も働いている」著者のくらしの切り回し方(特に掃除)、そして「豊かな生活」というものについての著者の考え方です。

仕事で疲れたからストレス解消だー!!!
と、一点豪華主義で、刹那的な散財で鬱憤晴らしをするのではなく、どんなに仕事が忙しくても鬱憤晴らしに刹那的散財などしなくとも家に帰れば必然的に癒される。美しい空間を持っていることのほうがずっと贅沢で豊かなのです。

カネがかかるからレストランに行かないのではなく、行くのなら、レストラン選びから、誰とレストランに行ってどんな服を着て、というところからワクワク楽しめる、多少高額でも心から満足できる外食をしたい。

つまらない外食をして、「ああ、またひどいものの食べちゃったなあ。しかも、大したもの食べてないのに、お酒飲んで、前菜、スープ、メイン、デザートとお茶飲んだだけなのに2500円も飛んじゃった・・。
今日のランチも、疲れてるから自分にご褒美って1500円のランチだったし、朝ごはんもちょっと贅沢してベーグルサンドとクロワッサンサンドと、クイニーアマンとドトールのコーヒーで1000円だったし、おやつにアンパンとマドレーヌ買って400円・・。他にペットボトルを3本買って450円・・。
贅沢したって満足感はないのに、今日使ったお金は6000円近くか・・・。
ああ、疲れた。
もう、メイク落とし−とで顔拭いて、寝ちゃえ・・。ああ、ベッドの上にまで洗濯物が・・。ゴミ溜めのような部屋だなあ・・。
疲れが倍増・・。


こんな後悔を伴う散財御免被りますw

ヤミーさんのレシピの、焼き上げるまで30分のベーグル焼いて、焼いてる間に本日の朝ごはんは炊きたてご飯に国産納豆、北海道の紅鮭、お味噌汁はカツオの粉だし&お気に入りの国産大豆のお味噌、岩のりのまとめて刻んである油揚げ、ネギをスープカップに入れてレンチンした後、粉だしとお味噌を入れて混ぜた簡単味噌汁、作りおきの五目豆、切り干し大根、昨日ゆでておいた小松菜の胡麻和え。
ルピシアのはちみつ和梨のほうじ茶。

ご飯が終わる頃には焼きあがって程よく冷めたベーグル。
昨日の夜の残りの鶏ささみのほぐし身に、マヨネーズとディジョンマスタードを挟んだのと、クリームチーズとブルーベリージャムを挟んだサンドイッチ。
デザートには週末に焼いておいて一切れずつ冷凍しておいたバターケーキ。
昨日の残りのマチェドニア。
保温マグにはくばくの国産大麦100%の美味しい麦茶を詰めて出勤。

夏だからって冷たいものばっかじゃ冷房にやられちゃうから会社の給湯室でティーバッグでお茶を淹れる。

会社帰りにスーパーに寄って、半額になってる野菜を数点ゲット。
お家に帰ってから、お風呂を沸かしている間に、野菜を1品ゆで、肉を一品炒める。
果物を刻む。
葉物野菜を洗って水切り。
トータル料理時間20分で明日の弁当の逸品と今晩の夕食の支度完了。

先にお風呂に入る。
お気に入りのエッセンシャルオイルを垂らして、お風呂用のスピーカーでエンヤのお気に入りのアルバムを聞きつつ、お風呂タイム。
お風呂から上がって、お気に入りの基礎化粧品をぱたぱたして、ふわふわのバスローブにくるまって、髪を乾かしつつ、アロマキャンドルを灯す。
夕食の仕上げにパスタを茹でる間に盛りつけの準備。
本日のテーブルクロスはキャス・キッドストンの布。
本日の夕食は、作りおきのキノコとにんにくのパスタ、グリーンサラダに作りおきの冬瓜と国産ピーナツ、お豆のサラダを乗っけたもの、本日ゆでたかぼちゃの一部を作りおきの鳥の茹で汁と合わせてバーミックスでが〜しただけのかぼちゃスープ。
買い置きのチーズ。
買い置きのハーゲンダッツに、残り物のカステラ、週末に安売りの八百屋でゲットした巨大な川中島桃でピーチメルバもどき。

チェコグラスのエッチングが美しいワイングラスにロゼワイン
食器はミントン・ローズ。
棚の上には、投げ売りになっていた3本200円のピンクのトルコキキョウ2種類をそのままガラスの大きな花瓶に3束分活けたお花が美しい・・・。

静かにフジコ・ヘミングのピアノのアルバムを流して、いただきま〜す!

こちらは、先週の火曜日のマルテツの現実の一日でございます。
食器だの家具だのには勿論多少のお金をかけてはおりますが、若い頃からコツコツと揃えてきただけのことであって、それこそ何十年も使い続けているものがほとんどです。
食料品だって、国産を選んでいるだけで特に高級なものを揃えているわけでは有りません。
金銭的なことを言うのであれば、前述の汚部屋散財住人さんのほうがよほど金持ちでしょうw
私の現実の一日で使った金額は、正確なところはわかりかねますが、エッセンシャルオイルだのアロマキャンドルだのを含めても6000円どころか600円にもならないでしょう。
十分の1の金額です。(消耗品以外のものに使った金額は抜かしますが、どうせ汚部屋散財住人さんは、私が金をかけて集めた家具やら食器やらに匹敵するお金をエステだの、海外旅行だの、デパートの割引なしの高級カウンターコスメだの、ブランドバッグだの、悪口ばっか行ってるくせに何故かつるんでる友達とのカラオケだのに使ってますよwww)

贅沢をしようと思えば、コレよりはるかに金銭的に金のかかった暮らしを出来る人はいくらでもいるでしょう。
でも、そういうことじゃないのですよ、豊かであるというのは。

「自分が」幸せだと思うもの、「自分が」美しいと思うもの、「自分が」おししいと思うもの、「自分が」気持ちいいと思うもの・・。
それらが何であるのか、というのを自分でわかってして、それを楽しみながら自分の手で揃え、しつらえ、手入れをし、味わい、楽しむ。

それが、豊かであり、贅沢である、ということです。

例え使い切れないほどの金銭を持ち、他人を使役して何から何まで自分の世話をさせて、自分は指一本動かさず、とにかく根の張る高級品で回りを埋め尽くし、飽きたと行っては使い捨て、自分が買ったものであるにもかかわらず、それらを愛情持って眺めることも使うこともなく、ただ他人がそれらを見て自分を羨んでくれたら満足だ、という成金根性丸出しの人間は世界中何処にでも一定の割合でおりますが、バブルの一時期を除き、日本人とその文化は、このような浅薄にして醜悪な、劣等感を自己顕示欲と虚勢に転換して露悪するような有り様を嫌います。

いや、何処かの国の連中のことを意識したわけでは有りませんよ。世界標準の教養なしの惨めな人間の肖像を書いてみただけです。


私は、日本人にしあわせだなあ、と思いながら暮らして、死んでいってほしいと思っています。

幸せになるための万人に当てはまる方程式は有りませんが、コレがなければ絶対に幸せになれないというものはあり、それが、

自分が何を好きなのか、自分が何をしたら幸せなのか を知っていること

です。

今回ご紹介した本の中で、作者は、ほんの17〜8万円をかけるだけで、アジアンリゾートやヨーロピアンリゾートそのままの寝室を作ることができると説き、たった数日のリゾートホテルに滞在する費用よりはるかに安く、毎日リゾートホテルに居るかのような寝室が手に入る、と提案しています。(まあ、金額はどの程度のものを求めるかによりますけどね)

もちろん、実際に旅行に行く楽しみと、リゾートホテルのような部屋を所有することはイコールでは有りません。
しかし、リゾートへ行く目的には、しょぼくれて貧相な日常生活を、一時忘れたい、逃げ出したい、という動機がかなりの割合を占めている人が多いと私は見ていますし、この作者もそう思ってこのようなことを書いているのでしょう。

バブルがはじけた後、日本人が本来の自分たちの豊かな精神文化を思い出し、虚飾と見栄の散財行動から、日々の褻の暮らしの質を高めることが普通のことになってきているのは素晴らしいことです。

なにも、ハレの散財が悪いというのでは有りません。
ハレによる高揚感というものは、褻の日常の品質によって左右されるものだということが言いたいのです。
このあたりのことについては過去記事もご紹介しときます

センスと暮らしの関係〜なぜ京都は美しいのか

褻の日常の品質が粗悪なまま放置しておいて、それをハレで埋め合わせようとしても、ハレによって得られるものと、褻によって得られるものは別物であり、ハレに張り込んだからと言って褻の日常の侘びしさは消えては無くならない。

それを勘違いしたまま、褻で受けた疲れをハレで埋め合わせしようとし続けているのなら、それはもとより無理なことなのだと一刻も早く気づいてほしいと思います。

そして、自分にとっての幸せが何であるのか、と言う人生の一大命題まではともかく、単純な人間の日々の生活に限定しての「幸せ」の有り様がどんなものであるかを定義するのは、誰にとってもそんなに難しいことでは有りません。
どんな家に暮らしたいのか、どんな家具が好きなのか、好きな色はなにか、好きな花はなにか、好きな手触りの布は何なのか、好きな香りは何なのか、好きな食べ物は何なのか、どんな食器が好きなのか、どんな音楽が好きなのか。

これらをリストアップして、理想の暮らしをとにかく設計するのです。
一度にそれが実現しないとしても、可能な限り安くそれを実現する方法を考えるのです。
そして、ハードを揃えた後、それらをホテルレベルに美しく整え続けるのに必要な労力は実は大したことはないというのはこの記事の冒頭で述べました。
(幼児を抱えている家庭ではこの方法だけでは無理でしょうが。あと、伴侶が非協力的である場合もね・・)

あまりにも疲れすぎていて、とても生活を帰るための気力も体力もない・・・。
そういう方はもちろんいるでしょう。
その場合、コレまで述べてきたような生活を手に入れるのは、実はそんなに大変ではない、今自分は、管理人などよりはるかに疲れ果てているから取り掛かれないだけ、いずれこの嵐のような状況はさるのだから、そうしたらきっと手に入ると、確信して欲しいのです。
そして、「いずれ」実現するはずの、美しく、幸せな暮らしを詳細に思い描いてリストを作って下さい。
何から取り掛かるかを考え、計画を書き記して下さい。

思い描き、書き記したことは潜在意識に残り、それは自分をしてその通りの現実がやってくるよう行動させる力になります。

「美しく、自分が豊かだ、幸せだと思えるくらし」は、忙しさの余り疲れ果ててしまう、燃え尽きてしまうことから自分を守る盾となります。

「疲れている、余裕が無いから美しく暮らせない」というのではなく、「美しく楽しく豊かな生活が支えてくれないから、疲れ果ててしまい余裕もなくなってしまう」のです。どうせ疲れ果てているのなら、ぶっ倒れる覚悟で一度「美しい自分の暮らし」を実現させてみてください。

それが、「疲れ果ててしまう」ことから自分を救ってくれることに気がつくはずです。

幸せそうな家というのは様々でも、犯罪の起こった家、不幸の続く家と言うのは恐ろしくその有り様が似ている、と言うのはよく言われることです。
則ち、恐ろしく汚いのです。
何を食べてるかと行ったら、レトルトやらファーストフードやら、スーパーの惣菜やらばかりなのです。

生活の質を美しく保つのは余裕があるからできるお贅沢、何ぞでは有りません。
不幸、貧乏、鬱病、疲れ果ててしまうこと、自殺などのおぞましい病原菌に感染しない為に必須の予防注射なのです。


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