ペットロスを乗り越える具体的な方法

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ぽぽらんがお月様へ帰ってからまる2週間が過ぎました。
亡くなった当日から、近い将来ぽぽらんがいなくなってしまうのだ、ということが現実となった苦しさと対面することになりましたが、これは実際のことろ、思っていたよりはるかにきつい状態でした。

洒落や冗談ではなく、
「つらい」
「くるしい」

とかひとりごとを一日中言うような有り様(さすがに人前ではそんなことはしませんが)で、何かに没頭しているときはいいのですが、そこから抜け出すと、ぽぽらんいない地獄に逆戻り、というのがピッタリの表現でした。

気を紛らわしていないと洒落にならない辛い状態に嵌って、悲しみの波にさらわれてしまうので、それを避けるために常にあれこれやっている状態なので何も手に付かない、というわけではなかったのですが、なんというのか頭が働かないので勉強の類やら、検証の類やらが出来ない。
まあ、手を付けで作業に没頭してしまえば男でも出来るんですが、そこに持って行くのが厳しい。

こんなことやってたら病気になるわ、とは思いましたが、まあ1週間やそこらはべそついても仕方がないと、自分を甘やかしましたがそれを超えたところで本気でどうにかせんと、と対策を考えるようになりました。

とはいえ、「悲しい」「辛い」というのは感情でありますからして、クスリを飲んでどうこうというのも、できるでしょうが精神科の世話になってドーピングでごまかしたところで根本解決にはならない。

時間薬というのはわかるが、私は今現在辛いのをどうにかしたいのである。

例によって理系能で超絶現実思考の私は、現状の分析、原因から対処方法を編み出すべく真面目に考えました。

原因は考えるまでもなく12年も一緒に暮らしたふわふわの丸毛玉が、最早私の元から永遠に去って行ってしまったことです。
そして、その死に様が大変苦しかったであろうことも悲しさ辛さに拍車をかけている。

で、当たり前ですが、最早死んでしまったぽぽらんを生きかえらせることは出来ません。
どうにも出来なかった病状をいまからどうにかすることもまた出来はしません。

よって、それについてあれこれ後悔したり嘆いたりしたところで無駄なわけです。
安楽死のほうが楽なんではと思うほどの状態であったのだから、楽になれた事自体はぽぽにとっては良かったのかもしれません。

残るは、ぽぽらんがいないと言う事が自分にとってとにかく寂しいのだということです。
これを解決するのに何かに没頭してみたとしても、思わず毎日ぽぽらんの水はあったかな、餌あったかな、今日の状態はどうだろうと、ひょいとうさぎ小屋のある部屋を覗くたびごとに感じる、突き刺さるような痛みは無くならない。

であれば、ぽぽらんがいればよいのだ。

以前ここでも紹介しました、「視えるんです」と言うオカルトエッセイ漫画で、作者の買っていたねこが死んでしまって悲しみの余り成仏させないと言う話がのっていて、そのにゃんこは作者の友人の霊能者の手によって、愛猫がまだ自分の周りにいてくれるんだと喜ぶ作者を叱り飛ばした上で強制成仏させられてしまうのですが、この話を読んでいたせいで嘆き悲しむ余り現世に呪縛するようなことはするまいと思っていたのですが。

視えるんです。 実話ホラーコミックエッセイ (幽ブックス)

視えるんです。 実話ホラーコミックエッセイ (幽ブックス)

49日が過ぎるまでは、そういう風に自分のそばに居てくれてるんだと思っていてもいいじゃないかと。

そして、私は余り写真がすきではなく、ぽぽらんの写真も数少なかったのですが、空っぽの小屋は見ているとどうにもならない悲しみの発作がやってきてしまったのですが、数少ない写真や動画を眺めていたら、
「なんだ、ぽぽらんちゃんとここにいるじゃん」
と思えたのです。

これは意外でした。
写真を見たら辛くなるかと思っていました。
逆だった。
少ない写真を何度も見ている内にだいぶ癒されました。

冷静に考えてみれば、ぽぽらんが生きている時だとて24時間べったりいっしょにいたわけではない。
旅行に出て丸一日ぽぽらんの顔が見られない時、ああ、さびしいようと思って辛かった時はじめて、あのふわふわがいてくれることの価値を悟ったものですが、今度はぽぽらんが、私を置いて旅行に行っているのだと思えばイイ、と言う理屈を考えだしました。

私はぽぽ欄にいて欲しいのであって、他のうさぎがいればそれでいいというのではない。
ぽぽらんは、古くて使い勝手の悪くなった体を捨てて、別の体を手に入れにお月様に行くことにしたのだ、と思うことにしました。
49日が過ぎるまではお試し期間として、まだお家に居てくれるはず。

それが過ぎたらほんとにお月様に行っちゃうけど、新しい体を手に入れて、きっとまた私のところに帰ってきてくれる。

ぽぽらんが私のところに来た時も、その前に飼っていた兎がいなくなって1年経ってからでした。
以前の兎とは似ても似つかない風貌だったけど、様子を見に行く度、「つれてかえってー」
と言っていた。

そして、我が家に来たぽぽらんは、まるっきり物怖じしませんでした。
100年前からここに住んでました、と言う感じ。
そして、私と気の合う、以前の兎と同じような性質のうさでした。
前よりオバカなところもあったし、前より賢くなってるところもあった。
でも、気質は変わっていない、と言う感じ。

ああいうふうに、時期が来たら出会うようになっている。
そう考えたら、「もういない」と思わなくなりました。
これなら、ぽぽらんを呪縛して地縛霊状態にもしないですむはずです。

ぽぽらんがいてくれた12年は幸せな時間だったし、ぽぽらんは素晴らしい兎でした。
そして、ぽぽらんがいなくなった悲しみを癒してくれたのは、意外にもその姿を撮った写真だったり、このブログに記録していたことだったりしました。
正直、ブログの文章は、これを書いていた頃はまだぽぽらんはこんなに元気だった、と悲しみ発作が起きていたのですが、そういうことを全くしていなかったぽぽらんの前に飼っていた兎の細かい仕草や暮らしについて、余り思い出せない事に気づきました。

このままぼやぼやしていたら、ぽぽらんとの暮らしのあれこれもきっと忘れてしまうでしょう。

ぽぽらんが、新しい体を手に入れてもう一度渡しのところに来てくれる日まで、記憶の中のぽぽらんをこつこつ書き溜めてみようと思いました。

本来、ブログって日記ですものね。

現在、あんなことやらこんなことを箇条書きに書き溜めているところです。
そうしてたら、なんだか私の夢に出てくるぽぽらんや、未だいるはずの見えないぽぽらんが、避妊手術前の元気で懐こいヤンチャなぽぽらんに戻って行きました。
ぽぽは、しばらく前に睾丸の腫瘍を取る手術をして以来、昔のように人間べったりではなくなってしまって、寂しいなあと思いつつ、それが普通になってしまって昔のぽぽらんをわすれていたのです。
人間の記憶力なんてこんなもんです。

箇条書きに思い出を書きためてから、それらを漫画にでもしてぽつぽつブログにあげて、ぽぽらんが帰ってくるのを待つことにします。

空っぽの小屋はまだ見ると涙がこみ上げてきますが、
ぽぽらんは、ちょっとお出かけしているのです。

新しい具合の良い体を見繕って、しばらくしたらきっと帰ってきてくれる、それまではおさんどんならぬ、「うさんどん」から開放された時間なのだ、と思ってあれこれやって準備しておけばいいのだ、と考えておきます。


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