命にかかわる決断をするということ

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今はまだぽぽらん以外のうさぎを飼うことなど全く考えられないけれど、いつかまた兎を買うことを決めた時、その兎に何かあった時、そして近い将来やってくるだろう両親との関わりのために、ぽぽらんの生き死に関して私がとった行動とその思考、決断に至った心理を記録しておこうと思って書いています。

もし今、うさぎであれ、他のどんな生き物、自分にとって大切な人との間に同じような状態にある人がこの記事を読んでいるのなら、某かの参考になればと思います。

6月14日に、ぽぽらんを実家の庭に埋葬してきました。
ちょうど、今年の春に購入したジュリアが沢山花をつけてくれたので、咲いている花を全部切って、ぽぽを入れた箱に他のバラや、ビオラの花といっしょに入れて、埋葬しました。

つい先日アップした記事、近況報告&どうにかして物事を進める方法 〜英国式15分家事術これは既にぽぽらんがもう長くはないだろうことを予見して、ぽぽらんがいなくなった生活というものを想像するのも怖いが、絶対にペットロスにハマって自分を可哀想がってうだうだするような醜態は晒さない、と言う決意のために書いた記事でした。

あの時は父までヘタすればこのまま施設行きか、と言う状態にいきなり悪化したのですが、その後父はケロリと元の状態まで戻りました。
ご近所の方が驚いて、兎が身代わりになってくれたんだねえと言ったそうです。
母は私にそう言ってからしまったと思ったのか、
「皆、年をとると悪気はなくとも無神経なことをいうようになるからねえ・・」
と言っていましたが、不思議と私はそれが無神経発言だとは気づきませんでしたし、言われてみればとは思いますが、
「ああ、そういうこともあるかもしれないなあ・・」
と、逆に1ミリくらいは気持ちが楽になったぐらいでした。

ぽぽらんが2か月前、手術して根源原因を取り除かない限り生きることは出来ないがその手術もできない、と言われてからずっと、それでも手術するべきではないのか、このままどんどん、いつまで保つかは分からないがひどい状態で、安楽死をさせたほうがいいのかと思うほどの状態で生かしておくなら、一か八かの勝負に出て、それに勝てば元通り健康になって生きていける、と逡巡しました。

多少の後遺症が残ったとしても、こんなふうに苦しいばかりで生きていくことはないのだから、全然構わない。

先生には手術自体が無理と言われましたが、過去記事にも書いたように、奥歯自体はもうなくなっていても歯根が育ってしまって鼻や涙腺を刺激している状態。
その歯根自体を除去する手術を13歳の兎に対して行って成功、と言う記事をサイトで見つけたのは、ぽぽらんが今回の症状になって結構経ってからでした。

かかりつけの獣医さんは大変素晴らしい先生で、ぽぽらんが仔ウサギの時から何度もお世話になっていました。
奥歯の切断は麻酔がないと無理とのことで何度も麻酔をかけて伸びすぎた歯を切ってくださっていて、結構年をとってから腫瘍が出来てしまった時の手術も行ってもらい、その後の最後の奥歯切断の時には麻酔をかけると心臓に負担がかかって死んでしまう恐れが、と消極的だったのを、なんとぽぽのために麻酔をかけずに行ってくれました。

過去にも何度も、ウサギの歯根の除去自体出来ないのか、とネットで調べてはいたのですが、情報を見つけることが出来なかった。
先生にも、歯根自体切開手術で取り除くことは本当に無理ですか、と強く聞かなかった。

以前別の兎も不正咬合がらみで、この先生から歯の専門医の先生を紹介して頂いてそちらで手術してもらったことも有りましたし。
でも、私には先生がなぜ、それを勧めないのか、それに触れないのか、わかっていました。

体重が減って、一番重たい時の体重で1,6キロあったぽぽらんの体重はこの時1,1キロ。
ここ数年、歳とともに軽くなっては居ましたが、1,3キロくらいはあった。
この状態で、老齢の兎に麻酔をかけて、手術をしたら、その時点で死んでしまうのではないか。
それぐらいなら、こころ安らげる自宅で最期の日々を穏やかに暮らさせてやったほうがいいのではないか。。

決して威圧的ではなく、飼い主を攻めることもせず、可能な限り飼い主の立場に立って親身になってくださる先生で、もしあの時、
でもこのままなら死んでしまう。一か八か、歯根を切除できる専門医に手術を頼みます!
と私が強く言ったのであれば、先生はきっと紹介してくださったと思うのです。
それはこれまでの先生とのやりとりで知った人柄からしてわかっていました。

手術を受けさせるにしても、せめてもう少し体重を戻してからと、この段階では食欲増進の薬をもらい、禁じ手のりんごジュースペレットで元通りの量を食べるようになり、糞も元の大きさに戻ったけれど、体重はほとんど増えない。

そうこうしている内に、今度は前足を床に付けないで寄りかかっているような状態から、箱は作れないけど普通に座ってる状態になったけど、クークー呼吸が苦しそうになってきた。
そしてまた食事をとれなくなりました。
増えなかった体重はまた軽くなった。

ここで、もう見切りをつけて勝負に出るべきか?
勝てばいいけど、負けたら、すぐにぽぽらんはいなくなってしまう。

どちらにしろ負なら、このまま薬をもらって後何ヶ月かわからないが、生きていてくれるかもしれない。
賭けに出なければ100%の負け。
賭けに出て勝てば後何年かは生きていてくれる。
ただし、勝てる確率は・・。

私は、情に溺れて理性で判断すべき時に、命をかけた賭けに出ることが出来ませんでした。

せめてこれが、ぽぽがもっと若い時だったら、迷わず勝負に出たでしょう。
いや、これだけ生きたあとなのだからこそ、勝負に出るべきだったとも言えるのではないか。

人間であれば自分がどうしたいのかは本人の意志を尊重できます。
もう、この歳で体をいじられるのは嫌だというのであれば、悲しくともそれを尊重することにやぶさかではない。

けれど、物言えぬ動物の場合は、どうなのか。

死ぬ確率の高い手術を受けさせる事は飼い主の自己満足でしか無いのではないのか。
いや、苦しい状態になすすべもないまま放置するぐらいなら、安楽死させる代わりに手術を受けさせてもいいのではないか。

自分が賭けに出ることができるほど強ければ、ぽぽらんはこれまでの大手術の時と同じようにけろりとして、今もここにいてくれたのではないか。
賭けに負けてぽぽらんが逝ってしまったとしても、それならやれるだけのことはやったと思って満足できたのではないか。
いや、逆にあそこで決断しなければせめて後数か月生きていてくれたとべそべそしたかもしれない・・。

しかし私にはわかっているのです。

勝てる見込みのあることを、どんな犠牲を伴うとわかっていたとしても、情に流されて100%の負けに掛けるくらいだったらと勝負に挑めば、少なくともこんなに苦しくはなかった。
やれるだけのことをやった、あのままで勝てることはなかった、と思って諦めがついた。
例え死んでしまったとしても、あんな苦しそうな状態を放置するぐらいなら、麻酔のかかった状態で生きるための戦いで死んだほうが楽だっただろう。

私は、賭けに出なければ100%の負けが確実だが、賭けに負ければ残り少ない愛したものとの時間が更に短くなることを恐れ、「賭けに出ない」と言う決断をしました。
その決断に従った結果を得、現在が有る。
それを受け止める覚悟は勿論、既にしていたのですから、あとはどうにかこの愛別離苦の苦しみを凌ぐ、事前に考えておいた方法を、今の私に向かって過去の私が用意しておいた手段を、実行していきます。

何かの拍子に波のように襲ってくる悲しみには、実際問題として頭を使わないルーティンワークが有効です。
何かに没頭できる状態であれば頭を使う仕事のほうが全く他のことを考えなくて済むのでいいのですが、そちらに頭が入る状態までもっていけないのであれば、ボーっとしているより何かしている方が気が紛れます。

掃除とか。
ただし、床を磨くとか、窓ガラスを磨くとか、単純な繰り返し作業でないと思考停止して悲しみの波が襲ってきます。
古い洋服を刻んでボロにするのもいいです。
古い洋服をパッチワークように切り取ったり、ミシンではなく手縫いでひたすらパッチの小布を縫い合わせたり。
解物もいいです。
うっかりかび臭くさせてしまった着物や帯を、材料用に洗ってから刻もうと放置してあった物を解くのは、頭を使わずに出来ます。
庭仕事も大変有効です。
昨日はぽぽらんを実家の庭に埋めて、母の庭の手入れをしていましたが、程よく体を使って疲れるのは、楽にしてくれます。

この、悲しみを乗り越えるためにがむしゃらに働く、と言うのは子供の頃からの愛読書である「赤毛のアン」の登場人物、マリラにらならいました。
いまNHKで「花子とアン」やってますが、あの村岡花子さん訳の赤毛のアンシリーズを私はハードカバーで全巻持っています。

赤毛のアン 赤毛のアン・シリーズ 1 (新潮文庫)

赤毛のアン 赤毛のアン・シリーズ 1 (新潮文庫)

永年、赤毛のアンといえばこの方の訳した、素敵な白と紫のデザインの講談社の本だったのが、絶版になって数年になりますね。
表現が古臭いだのとどうでもいいようなアホな理由で新しい訳者の本が出ましたが、ひどいものでとても読む気に成れないシロモノです。

それはともかく、この中で、マリラが腹がたった時とか悲しい時とかに、がむしゃらに働くことでそれを紛らわす癖があった、と言う話が出てくるのです。
この話は、特に女性にとって人生を生きていくのに必要な知恵、知識がぎっしりと詰まっている名著です。
女の子向けの軽い小説であるかのような低い評価は不当も甚だしいものだと思います。

子供の頃からの愛読書が、こうして人生の節目に役に立ってくれているように、私の書き散らした記事もどなたかのお役に立てればいいがと思います。



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