日本文化=軍国主義と言う洗脳工作に気がついていますか 〜きくちいまが伝えたい!買ってはいけないきものと着物まわり 2

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ

日本文化=軍国主義と言う洗脳工作に気がついていますか

の続きです。

きくちいまが伝えたい!  買ってはいけない着物と着物まわり

きくちいまが伝えたい! 買ってはいけない着物と着物まわり

このブログは以前から述べておりますように、アメリカのWGIPによる洗脳工作から日本人を覚醒させることを目的の一つとしております。

一見、この記事でご紹介した本の内容とは何の関係もないかの如く思えるかもしれませんが、日本文化継承の断絶、という点をこの本の内容から感じ、それについて以前から思っていた原因についての考察、として読んでいただければ。

前回の記事では本の内容と、この記事のネタとなった、「着物の格が何で決まるか」についての間違いに絡め、そもそも「着物の格式」というもの、服装において「格」を必要とすることの是非と意義について記載いたしました。
そして、それら日本の常識であった教養が、戦後貶められ、継承されなくなった原因に、アメリカ、シナ、在日朝鮮人によるWGIP(戦争の罪意識刷り込みプログラム)がある、というところからが本日の記事となります。


では、本文です。

戦後の、礼儀作法や、伝統文化を脩め守るべきというのは、「家父長制」「封建制」「軍国主義」の押し付けだという風潮は、シナ共産主義工作員まで動員した日本人劣化政策の一環であるということは、ぜひとも言及しておきたかったのです。

そして、それが故にこの本のトンデモ間違いを見逃すことはできませんでした。

なんで、この手の輩がそんなことをしたかって、決まってます。
礼儀も文化もないヒトモドキ在チョンは、当然、日本の教養文化などというものとは無縁です。
現代の、だいぶ日本人劣化政策によって毀損されてしまった日本人の中にいてさえなお、その教養のかけらもない無様なキチガイ振る舞いで、通名を使ったところですぐに足がつく土人っぷりだというのに、日本人がかつての教養を保ったままでは目立ちすぎて具合が悪いに決まっています。

シナ土人にしてみれば、日本人が自ら日本人としての文化教養を手放して劣化してくれれば、侵略しやすくなるがための洗脳工作です。
日本の麗しい上にも麗しい伝統文化が残っていては、シナ土人の薄汚い共産主義などという浅薄な土人思想は、アルコールをかけられた細菌よろしく消毒され、日本に取りつくことなど出来やしません。

共産主義やら何やらの、薄汚い非人間的なキチガイ思想を寄せ付けないためには、絶対に、美しい文化というものが必要なのです。
日本がこれだけ鬼畜で薄汚い共産主義国に周りを囲まれても、共産主義など蔓延しないでいられたのは、日本文化という美しい文化が、国中隅々まで行き渡っていたからです。
何処の世界に、美しい、きれいな、素敵な、自由な、節度があり、礼儀が有り、朗らかで、お茶目で、清らかな色彩豊かな文化思想から、
薄汚い、不潔な、不自由な、ゼニゲバで、不作法で、言論統制され、かけらほどのユーモアもなく、騒々しく、ドドメ色の文化思想に鞍替えしたいと思う人間がいるでしょうか。

ただ共産主義というバイキンをばらまいただけでは感染させることが実際できなかったから、シナ共産の豚工作員共は、まず日本文化を破壊するところから始めたというわけです。
美しいものがなくなれば、日本人としての誇り、礼儀作法などがなくなれば、無法で野蛮な習慣を受け入れやすくなるというわけです。
ゴキブリの分際でこういう悪知恵だけは大したものです。

あの手の思想が蔓延するのが、文化的に貧しい、民族としての性質が美意識からかけ離れている国々であるのは、その民族が元から持っていた薄汚い特性と大変親和性が高いからです。
共産主義を跳ね返すだけの文化力がなかったからあんなもんに感染するのです。

日本においても人事ではなかったのであって、第二次世界大戦の最中、共産主義者の特性と同じ、薄着立たない低文化教養者は過剰な軍国主義に走って、文化否定をやらかしました。

「欲しがりません勝つまでは」が、戦時下にあって悪いことだとはいえませんが、それは戦争に勝つ為物資を節約することが目的であって、既にある美しい文化を破壊して回ったからといって物資が豊かになるわけでもないのに、着物の袖をちょん切って歩くような運動を悦に入ってやらかす輩が跋扈しました。
こんな輩を、二度と出してはならないのです。

どうせ戦時中の軍国主義を非難するならこういうところを掘り下げるべきだというのに戦時中のこの手の行いを口を極めて罵る輩は掃いて捨てるほど有りましたが、なぜそれが問題であるのか、なぜそのような無意味な行いがはびこったのかについて、意味のある考察というものは、ほとんど見たことがありません。

なぜか、
「戦争をすると帝国主義で封建主義で女性差別が始まって、贅沢は敵だになって、言論弾圧になる」
などという、朝鮮人のたわごとのような、脈略のない意見が批判もなく、思考停止して受け入れられてしまう。
これは戦後のWGIPによる洗脳の賜物です。

「戦争があった」「戦時中帝国主義があった」「戦時中に封建主義的な慣習があった」「戦時中女性の権利が今より制限されていた」「戦時中は家父長制であった」「戦時中物資が乏しくなり窮乏した」「戦時中言論統制があった」「戦時中筋の通らない奢侈禁止令があった」これらは全て事実ですが、これらの事実は「戦時中」であるが「ゆえ」に起きたわけではない、というところがポイントなのです。

「戦時中」ではなくとも、これらはあったし、唯一戦争が原因で起きた「物資の欠乏」だとて、戦争がなくとも起きうる事象でしかありません。

これらの望ましくない事象を全て、「戦時中に起きていた」という事実を例にすることで、論理的整合性のない洗脳内容を普遍的な法則であるかの如く言い立てる事にリアリティを付加し、「戦争を起こすとこれらのことが全て再来する」と、巧みに洗脳をかけたわけです。

「戦争を起こすとこれら負の事象が起きる」というだけでも強烈な洗脳なのですが、これに追加して、「戦争に負ける」という刷り込みまで一緒にやらかすというご丁寧さです。

洗脳するのに、洗脳内容が事実である必要はありません。(事実なら宣伝だけで事足ります)
が、洗脳するためには被洗脳者に洗脳内容が事実と思い込ませるための仕掛けが必要です。
ここでは、客観的に考えれば 「戦争」=「諸々の望ましくない社会現象」=「敗戦」という等式は成り立たない、という事実に目を行かせないために、「戦時中に実際あった負の社会現象」を「戦時中」「敗戦」と「必ず絡めて」繰り返し宣伝することで、戦争と、戦時中に起きた望ましくない社会現象に、自然法則に例えられるような因果関係はないのだ、というごく当然な事実から目をそらさせているのです。

例えるのなら、絵の中の見せたい部分だけにスポットライトを浴びせ続けることで、絵全体に描かれている、洗脳者が見せたくない部分を隠すと言う手法ですね。
洗脳手法の初歩の初歩、「情報の隠蔽」の一種です。
自分に都合の悪い情報に気が付かないようにしてから、自分の刷り込みたい情報「だけ」を、「嘘ではない」状態に加工して反論を封じつつ、繰り返し繰り返し宣伝する。
「おかしい」と気づくための道が洗脳者によって隠されているので、洗脳にかかりやすくなるわけです。
それに対して「おかしい」と声を上げる者がいたら、すぐさま執拗に、
否定的レッテルを批判者に貼り付けて、批判者を攻撃する。

批判者の数が増えない内に、批判者に賛同するとひどい目に合うと他の人間に思わせ(恐怖によって思考停止に追い込む)、賛同者を増やさないために徹底して個人攻撃を行い、社会的不利益を被るよう攻撃する。

この手法によって、戦後長いこと日本は「日本は悪者」洗脳にやられてきました。
アメリカは日本を共産化したかったわけではありませんが、何しろアメリカだとて共産主義者が山と入り込んでせっせと洗脳工作をやらかし、それどころか大統領補佐官まで度々共産主義者が入り込んで政策をいいようにする体たらくですから、日本国内に跋扈する共産主義者が、日本悪者論を自分たちの利益のために推進するのを排除しようと動くはずもありません。
結果、日本は目的の違う複数の陣営から、ちょっとやそっとではとくことのできない洗脳工作体制で政府機関とマスコミを牛耳られてしまいました。

それは反省すべき事ですし、嘆くべきことですが、それによって自己卑下に終始してしまう事は敵の術中に自らハマることであると知るべきです。

むしろ、これだけ強力な洗脳工作を敷かれたにも関わらず、国体国風を失わず、枯れ木が春を待って芽を吹くがごとく、新しくも変わりない、日本文化とその誇りという芽を吹かせることができる、この事実に目を向けるべきでしょう。

どんな民族にも等しく不遇な時期はやってきます。
その時代に負けず、それを乗り越えて民族の記憶を歴史を文化を、引き継ぎ、新たな時代を紡ぐ担い手を生み出すことができる力を持っているということが大事なのです。

そして、今、日本は冬の時代にその文化を、だいぶ傷めつけられはしましたが絶やすことなく守りぬき、日本文化も日本人としての誇りも取り戻し、日本を取り戻しつつ有ります。

このまま、進んでいけばよいのです。
とは言え、冬の時代に傷んでしまった枝は治療するなり、剪定するなりしなければなりません。

今回紹介した本の、トンデモ間違いなどは、冬の時代にきちんと自国の文化を引き継げなかったがゆえの傷んだ枝の典型です。
最後にもう2つ、この本に、かんべんしてくれ、という内容があったので言及しておきます。

名古屋帯の件と、訪問着柄の付下げの件。
一昔前ならいざしらず、これだけネットが普及している時代、グーグル先生に聞いてみれば一発で分る事をどうして調べもせずに書けるのか。

〜略ぱっと見、重量感のあふれる袋帯みたいな名古屋帯は、お茶席でよく使われます。
特に袋帯を結ぶのが大変になってきたご年配のお茶の先生は、こぞって重たい名古屋帯を結ぶ傾向にあるようです。
これこそ、「黙っていたらお太鼓が二重だか一重だかなんてわからないでしょ。」というのが始まりじゃないかしら。そして生徒さんが、
「あらやだ、先生は名古屋帯をしていらっしゃる。私達は先生より格を下げなくちゃ」
と焦って結ぶようになったのが軽い名古屋帯なんじゃないかと勝手に思っています。

・・・。
「勝手に思う」のはそれこそ、個人の勝手なのですが、それを自分の頭の中に留めずに嘘八百を口にしたり、ましてや出版物で垂れ流すなどという行為は下手すりゃ犯罪です。
名古屋帯はこういう理由で考案された」と書いているわけではありませんが、この書き方では、何も知らない人が読んだらまずそう思うことまちがいなしです。

名古屋帯の生まれた経緯など、あまりにも新しいがゆえに創始者の名前から、発案された経緯まで明らかになっている物で、(まあ、どっちが本家かみたいな論争は有るにせよ)
袋帯では普段着に不便だから、簡単に結べるものを」
と考案され、それが支持されて、発案からあっという間に一般的になったものであることは、別に特着物に詳しい人でなくとも、よく知られている話です。
(ちなみに考案されたのは大正時代、女学校の先生が考案者というのが定説です)

余程視力に問題の有る人間でない限り、一重太鼓と二重太鼓の区別がつかないなんてことはあり得ません。
故に、そんなことが理由で名古屋帯がはじまった、なんていうことも、勿論有りません。

帯の種類による格について言うのであれば、そもそも袋帯でさえ、名古屋帯より多少前に考案された、たいして歴史のない帯です。
故に、昭和になってもきちんとした席で使用する帯といえば丸帯だったわけで。

袋帯だとて、「省力化」「安くつくる」為に、丸帯の代わりに考案された帯です。

もう一つの付下げの方も引用します。

そもそも付下げは、対人関係のためのきものです。たとえば、お茶の先生が重量感の有る訪問着を着るのなら、生徒さんたちは軽めの訪問着を着ます。先生が軽めの訪問着を着るのなら、生徒さんたちは付下げです。このように、「へりくだる」為のきものなのです。

このくだりを読んだ時には思わず目を疑いました。

付下げが、対人関係のためのきもの!?

こんなトンデモ説を聞いたのはこれが生まれて初めてです。

調べれば誰でもわかることを、とくとくとひけらかすのは憚られるのですがこれは言っておかなければなりません。

付下げと言うのは、もともと、上下のある柄を、肩山を頂点にして裏表どちらも柄が上になるように反物に絵付けした小紋柄の着物のことです。
柄の上下が無かったり、上下があっても柄を全体に、方向を散らしてつけるような絵付けであれば、着倒して汚くなったり、擦り切れたりしたところを繰り回して仕立て直し長く使えますが、これだと繰り回しが効くのは左右の身ごろ、袖の取り換え、汚れた上前の衽を下前に持って行って隠すぐらいです。
故に、ただの小紋より「贅沢な」着物として扱われていました。

この本で扱われている付下げは、戦時中に、贅沢品として訪問着が禁止されたのと、物資、人手の窮乏により、絵羽ではないのだからいいだろうということで、反物のまま絵羽のように見える絵付けをしたことから、小紋柄ではない柄付けでも付下げと呼ぶようになったのです。(あくまで「見える」ですが。訪問着のように絵羽にしてから柄つけをするのではないため、自然柄置きに制約ができるのです)
見た目があまりに違うため、「付け下げ訪問着」と言って売っている店もあります。

元祖の方の付下げ(小紋柄)は、現在ほとんど見ることがなくなりました。
これだけなんでも作れる贅沢な世の中になると、たかだか柄の上下が揃っていることの何が嬉しいのか、ということになり、そのくせ普通の小紋より値が張って、正装になるわけでもなく、繰り回しもきかないとなったら、ただの不便で不経済な小紋、ということですからね・・。

ここまでが前提のうんちくです。
ここまで読めば、先ほど引用した作者の文章に引っかかった理由を理解いただけるでしょう。
作者は、「付下げはこういう理由で考案された」とは言っていません。
が、先ほどの名古屋帯と同じく、言ったも同然、誤解させるための文章としか言えません。
この文章の隣のイラストページの書き込みでは、
「付下げを一枚持っていると便利ですよ、って言われたんだけど本当?」
という問いに、
「お茶をやるんだったらそうだけど、お茶やらないならいらないよ。だって訪問着で十分だもの」
と書いています。

呉服屋のセールストークで「●●が一枚あると便利」というのはお約束なのですが、多少なりとも頭があるなら、何が便利かなんて言うのは人によって千差万別であることぐらい分かりそうなものです。
「便利だ」というのであれば、「なぜ便利なのか」を聞いて、その理由が自分に関係無いものであれば便利どころか無用の長物でしかありません。
当たり前の話です。
昨今の、頭の弱いゆとり世代なんぞ、こんな文章を読んだら付下げ(訪問着柄)は茶席にしか着ていけないきものと思い込みそうです。

上記に書きましたように、付下げ(訪問着柄)が便利かどうかは、その人がどのような場面で着物を着ることが多いのかによります。
「建前上」豪奢を禁忌とする茶会の席などでは、確かに付下げは、その成立の由来と、たいてい柄つけが簡素であることから便利に使われるものですが、この本の作者が書いているような、「先生にへりくだるため」などというアホな理由ではありません。

訪問着のほうがその制作に手間がかかるため、一般的に値が張るのは確かですし、柄付けの場所に制約のない訪問着のほうが基本豪華な絵付けになることが多いので、どうも茶席にはそぐわない。
かと言って、あまり砕けた格好で伺うのも、と言う時に、付下げが便利である、ということです。
当然ですが、便利だろうが便利でなかろうが、その着物が欲しけりゃ買えばいいだけです。
これから探すのだが、訪問着と付下げではどちらが使いでが有るか、と相談されたのであれば、その方の趣味と生活状況、今後予想される使用機会の内容や回数を鑑みて助言もできますが。

そもそも訪問着などというのも、明治になってからできた歴史の浅い着物で、本格的に普及し始めたのは大正になってからです。
それまで良家の子女、婦人は何がしかの儀式(結婚式やら葬式やら里下がりやら)でもない限り隣近所以外はまず家から出なかったので、外に着ていく着物としては礼装さえあれば済んだものを、文明開化の煽りで「社交」「遊び」のために出歩く必要に迫られました。
その際着るものとして、紋付きではどうにも具合が悪いし、家の中での普段着でも困る、ということで、「社交」のための着物として作られたのが訪問着です。
「礼装と家着の間の着物」と言う、たいした格のあるものでもなかったのです。

馴染みのない言葉に、当時の婦人雑誌の相談欄にも
「訪問着とは、どのやうなときに着れば良いのでせう」と言う相談があって、
「奥方様であるならば、昼間にお友達の家をご訪問なさる時や、銀座などにお買い物におでかけの折、または格式張らずにご実家にお寄りになる時などお召になられるとよろしいでせう。」
なんて書いてあります。
流行りだした当時であれば、銀座の百貨店にお買い物だの、お友達の家に伺う時だのに来ていくような着物ですから、現在で言うなら、せいぜいワンピースやスーツの位置づけです。

ただ、その豪華さ故に日本の社交場において、「儀式」以外の場での「盛装」として、訪問着がその用途に用いられたため、「礼装にはならないが、豪華で小紋よりは格上な着物」として定着した現実が有ります。

戦前に限らず、私が子供の頃の「サザエさん」では、フネさんや、サザエさんが、デパートに出かけるのに一生懸命着物を着る場面が時々有りました。
それが袋帯+訪問着。(まあ、色無地だったかもしれませんが、とにかく袋帯似合わせるような着物です)
そういう格好でデパートに出かけるのが一般的だった、ということです。
これは、訪問着と言う着物の格が現在よりも低かったのに加え、「百貨店へ行く」ということが現在よりも「特別なこと」であったので、「百貨店に訪問着」と言う服装と場所、場面(ドレスコード+TPOのPとO)が兼ねあっていたということでしょう。

けれど、時代によって服装の常識というのは変わります。
場所や遊びの「特別感」「希少価値」「オシャレ度」「流行度」も変わります。
現在、昼間に都内で、ちょっとデパートに買い物に行くのに訪問着+袋帯と言うと、なんだか頑張っちゃてる感が出て気恥ずかしく、なんとなく出番がなくなりがちです。
都内在住、通勤の人間にとって、伊勢丹だろうが何だろうが、デパートなんぞ会社帰りにちょいと寄るところでしか有りません。
労働着(スーツ)で出入りするようなところに、訪問着(結婚式に出るような格好)で出かけるのはやはり気恥ずかしい、となるわけです。
でも、華やかな着物着たいな〜、と言う時に、付下げ位ならなんとか行けるか!
となることが私の場合、多い。
別にデパート行くのに訪問着たっていいのですけどね。誰も他人の格好なんて気にしちゃいませんよ。
ふつーの忙しい都会人は、ですが。
ただ、訪問着でセルフサービスなどの、軽い飲食店に入るのは憚られるし、買い物した紙袋を山と持って歩くというのも、みっともないと思ってしまうので、行動に制約が出て不便なのです。

現代の生活は全般にカジュアル傾向にあり、結婚式ですら昔に比べ、

礼装でなければ→盛装で十分→華やかならいいんじゃね?→いや場所によっては平服で

という流れなので、比例して普段の生活での服装もカジュアル化し、華やかな格好をするのが浮いて見えると言う現実が有ります。
実際、華やかな絵付けの訪問着などというのは、洋服で言えば裾引きのイブニングドレスに相当する代物になってしまうので、そういうドレスを着て出かけるような場所に頻繁に出入りする生活だとでも言うのでない限り無用の長物になりがちです。
和服と洋服では完全にTPOが一致することはありませんから、小学校の入学式に訪問着で行ったって問題はありません。
が、その小学校に通う、他の保護者の方が、普段着に毛が生えたような格好ばかり、となったら浮きまくる事まちがいなしです。
周りから浮いて目立つのが耐えられない、というのであれば、周りに合わせて薄汚い普段着で行けばよろしいのとおもいます。
晴と褻という、生活のメリハリとけじめの無い生活なんぞ私だったらまっぴらゴメンですが。

ちょっと話が脱線したので元に戻しまして。
先ほどのうんちくに書いたように、訪問着柄の付下げというのは、訪問着の代用として作られたものですから、作者の言うところの「付下げがなくとも訪問着で間に合う」、と言うのは間違いとはいえません。

しかし、付下げが対人関係、それも、目上の人間をたてるための着物だなどというのは噴飯物です。

前回記事の最初のほうで書いた、基礎的な文化教養というのを理解していないからこんなトンデモ発言が出るのです

「目上の人をたてる」「場の主役をたてる」為に「へりくだる」必要がある場面が存在することを否定するものではありません。
例えば、結婚式に招待されたら、花嫁を食ってしまうような華やかな格好をしないとか、洋装の場合招待客は「白」は着ない、などというのが典型です。
誰かのお祝いのために招待されて、主役はお祝いされる方なのに、何処の演歌歌手だというような派手な格好で出かけるなどというのも、眉をひそめられる行為でしょう。
が、それと、ドレスコード上の格を下げる事が、相手よりへりくだることだ、などというのはまったく話が別で、話が別どころかこれは嘘もいいとこです。
正しくは真逆です。
服装の格で目上の人にへりくだる為であれば、目上の人よりも目下の人間は、服装の「格」が上の格好をするのが、「まともな神経を持った国の」古今東西の礼儀作法です。

「お前は俺より目下なんだから、俺より格下の格好をしろ」
などという恥知らずな、自己顕示欲丸出しの封建君主のような礼儀など、聞いたことがありません。
こんなのをやっている国は、おとなりの北朝鮮のようなキチガイ独裁者が君臨しているような国だけです。

例えば、結婚相手の家に、初めてご挨拶に行く。
その際、それは「儀式」といえるものではないのだから、迎える家人はこざっぱりした普段着。
でも、訪う方の人間は、礼装とまではいかなくとも、昼間の公式行事に参加することが可能な程度の格好で伺うのが「へりくだりの礼儀」です。

これが、公式な「儀式」「行事」で、しかもドレスコードが指定されるような格式張ったものであった場合、ドレスコード上の「格」を、「へりくだる為」に落とした格好で出かけるなんぞ、恥をかきに出かけるようなものです。
それは単に、礼儀をわきまえない無知な人、と言う扱いになります。

参加する人間が同じ立場で、同じ場所に挑む場合、目上だの目下だのは関係なく、ドレスコードとしての「格」は同じにするのが当然です。
(単に遊びに行くのに一緒に出かける、とかではなく、某かの催しに出席する、と言う場合です。)

さらに言うなら、「先生」と呼ばれるような立場の人間は、目下の人間に華を持たせるというのがまともな感覚です。

「アテクシは先生なのよ、偉いのよ、あんたは弟子なのよ、アテクシより派手な格好なんてぷん!」

などというキモイ考えの「茶道師範」・・・。
「茶道師範」ではなく他のどんな習い事であろうとも同じですが、殊に「茶道師範」と呼ばれる立場の人間がそんなアホな振る舞いをする弟子に注意もせずに放置しているのであれば、そんなところで茶道の何たるかなど絶対に学べないどころか、恥をかくための嘘知識を教えこまれるのがオチなので、一刻も早く辞めることをおすすめします。
これも、基本的な日本文化の考え、真髄というものをほったらかして、上っ面だけの「作法」とう「知識」のみを、自分の頭でおかしくないか考えてみることもせず、周りでやってるからと、鵜呑みにした結果でしょう。
(まあ、目上の者より格上な格好をしてはいけないなどというのが指導項目に入っている「茶道」が有るのかは寡聞にして聞きませんが)
茶の湯の精神」を学びに行っているのではなく、「茶道をやってる私」と言いたいがために、教室に通うというような真似をするとこうなります。

昔読んだ随筆に、茶道師範の妻を持つ男性が、畳の上で昼寝をしていたら、妻が夫の頭を、横着して回り道せず、またいで通ったのを見て、離婚を決意したという話がありまして。
茶道師範でござい、などと家の外ではすましていても、茶道の精神などかけらも理解せず、ただの猿マネ芸で茶を点てていただけだということだ、と厳しい意見を著者は述べていましたが、全くもってそのとおりと思います。
弟子に向かって、足運びやら、器を扱う心得やら、服装を整えることの意義やら、立ち居振る舞いやらを偉そうに教えていて、これが茶の湯の精神!などと御託宣を垂れているくせに、他人の見ていないところではあっぱっぱでうろつきつつ、自分の亭主をものぐさでまたいで歩くような輩が茶道師範でございますなど、悪い冗談というものです。

茶の湯の精神といってもその解釈にはいろいろ有りますので、茶の湯の精神からしたら、さながら秀吉主催の茶会か、というような豪奢な着物で参加するのは云々、と言う意見の是非はここでは言立てません。
そもそも、私はさんざん贅沢をした挙句の驕りといえるような侘び寂び、それを自慢気に俺は趣味がいいんだなどとぬかす、欺瞞に満ちた利休の茶の湯というのが好きではないのです。
まるで、豪奢の限りを尽くした挙句、贅沢に飽きたとぬかして、とんでもない税金をかけてプチトリアノンで貧乏農民ごっこをしたマリー・アントワネットそっくりだぜ、とすら思いますので。

しかし、キンキラキンであろうとわびさびであろうと、茶の湯の精神の骨子は茶の湯の席を共にするありとあらゆる「もの」に対する一期一会を大事にすることに代わりはないということに異論の有る方はいらっしゃらないでしょう。

茶の湯にかぎらず、その他の全ての「道」と名のつく習い事をの目的は、稽古場やら発表会やらで一発猿芸を披露するためではありません。
その稽古事を通して習得した事を人生のすべてに応用できる哲学(道)にまで昇華し、自己を律し、稽古場のみならず自分の人生全てにおいて実践することです。

あげつらいたいのは、茶の湯の精神の柱の一つ、茶室、茶会の場は現し世とは別の世界=身分、社会的しがらみを捨てる世界、という哲学をまるっと無視した上で、お茶がどうの、対人関係がどうのなどと言っているところ。
これはまあ、本人が恥を晒すだけなのでまだ許せるのですが。

許せないのは、
「目上の人間」様に、敬意を示すためには、「へりくだらなきゃならない」「目上の人間様より目立ったり、格が上だったり、豪華な格好をすることは、目上の人間様をないがしろにすること」などという、朝鮮土人かおのれは、というのような奴隷根性丸出しのアホな思考をまるでそれが日本の礼儀作法であるかのように、書き散らしたことです。

ここまで延々と書き連ねた記事内容を読んでいただけたのであれば、これがいかにおかしな話か、きっとご理解いただけると思うのですが、こんな考えは本当に噴飯物です。

こういう考えで、茶道の弟子うちのみならず、その他の某かの仲間内で相手の着るものにごちゃごちゃぬかすバカな輩がいることは、実際に遭遇したことは有りませんが聞いたことは有ります。(私のような恐ろしげな人間相手に喧嘩を売る根性はないのでしょう)
が、そんないじましい行為を肯定した挙句に「へりくだりの礼儀」扱いされたのでは困るのですよ。

この本を読んだ読者が、何か一つの情報源を鵜呑みにするようなズボラをせず、この本の内容のおかしなところを認識くれることを、切に願います。

最後に、結果として日本文化を貶め洗脳することについての原因を書く記事ともなりましたが、きくちいま氏は、単にそれらの洗脳のせいでまともに日本文化を継承することができなかったが故におかしな間違いをやらかしただけで、意識して読者に日本文化下げの洗脳を行っているわけでは無いと思います。
これが日本人を劣化させるための洗脳工作だとしたらものすごく高度な代物ですw
洗脳目的は、日本人を朝鮮人のような意味のない上下関係のみでものを考える人間に改造する、とかいうところでしょうかw
普段こんなに日本文化を愛している作者が言うのだからそうなのだわ!と、疑いを持たせなくする・・という手法ニダ!w

まあ、こんな記事を書いたのも、本人にそんな気はなくとも、それに加担するはめになっている、と言う事の例になるからでは有ったのですが。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ