ドミニック・ローホー 99の持ちもので、シンプルに心軽く生きる

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99の持ちもので、シンプルに心かるく生きる

99の持ちもので、シンプルに心かるく生きる

先月はとにかくこれでもか、というぐらい本を買い込んで、そうでなくても1回床の上から本がなくなった日々が遠くなっているというのに、仕事部屋は床中、自炊のための裁断待ちの本の小山ができています。

ぽぽらん、毛抜けがぜんぜん終わらなくて未だ超不機嫌なんですが、地味に喜んでいます。

さて、久しぶりにドミニック・ローホーの本を買いました。

若い頃は、この手の、誰かの持ち物のリスト本が大好きで、数えてみたらあ結構有りました。
とは言え、単純に誰々さんが何を持ってる〜!
みたいなのが好きなのではなくて、その人の生き方と、なにゆえそれを選んだかの理由、生き方の流儀と言っていいでしょう、が知りたくてこの手の本を手にとってしまう。

若い頃はこの手の本を読んでも実際の生活がないわけですから、ただ自分だったら同じようにするか、これはいいとか、これは共感できないとか、参考にする一方でしたが、今は、自分の生活都の対比ができます。

今回この本を読んで感じた一番大きな驚きは、「ああ、私はもうこういう本を卒業したんだなあ」という感慨です。
この本は99のドミニックさんの持ち物を写真と、エッセイで綴った本なのですが、それぞれの持ち物に関してなぜそれを選んだのか、氏の生活哲学を踏まえた考えが書かれていて、昔だったらむさぼるように読んだと思うのです。
でも、今回は違いました。
正直、流し読み。
いや、本の中身は本当に質がよくて、読むに値する良書なのです。
でも、その書かれている内容のほとんどは、私にとってもう何十年も実践してきたことが殆どで、共感はできるのだけれど目新しくはないのですね。
で、以前もどこかの記事に書いたように、ひと通りできるようになったけどものぐさ発動でだらしなくなっているのだから、この手の本を読めば喝がはいるのでは、と期待して買ったのですが、内田彩乃さんの本を見た時程には活が入らなかった。

どうも、基本的には「物好き」の私の感性と、豊かな生活に関してズレが有ることが原因なのかな、と思いました。
美しいものの根幹にある定義は、禅に傾倒して日本文化を愛する氏と、そんなに差はないとは思うのですが、私は若い頃に、氏が提唱しているような極端にストイックな、「物の数を制限する快感」という生活を実践して、飽きてしまったんですね。

現在は、
「家からあふれるほどのものは持たない、自分で使いこなせる以上のものも持たない、けど、美しいもの、可愛いものを身近にたくさんおいて愛でて暮らす」
を実践しているので、この本を読むと、なんだか昔の物を制限することに疲れてしまったあの感情が戻ってくる感じがするんですね。

ですから、逆に、今現在物が溢れて疲れてしまっている人には、心しみる本になるのではと思います。

この本で一番印象に残ったのは、エピローグの言葉です。

近い将来、”必要”と”喜び”について、改めて考えなおす時が来るかもしれません。今、”必要”と思っていることが、数十年後”喜び”に変わるかもしれないのです。時間をかけて料理を煮込む、コットンの洋服を着る(コットン畑はバイオエタノールの生産のために玉蜀黍畑に変わりつつ有ります)、近所のやおやさんで会話を楽しみながら買い物をする・・・。

今現在、掃除をするのに、お茶がらを使って、上等の日本の棕櫚箒を使って、掃き掃除をし、刺し子をした雑巾で床をふき、潰したくるみで無垢の柱や床を磨くことは「贅沢」になってしまっています。

無垢の床やら柱やら、国産の棕櫚箒やら自体が「贅沢」であることがひとつ、もうひとつはそれらを、お掃除ロボットや科学雑巾におまかせで手間隙かけず造寺することが可能であるのに「わざわざ」人間が時間をかけて掃除することの「贅沢」です。

そういう「贅沢」に価値をおいて、手間ひまかけることが「幸せ」なのだと自覚してそういう生活を選んでいたはずだったのに、なんだか雑になってしまっている今の状況。
今回子の本を読んで、毎日、くるみで床磨かないと〜と億劫がっている自分を、ちょっと離れた位置から見直すことが出来ました。

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