アシアナ航空体験記〜お笑い韓国航空会社のアメリカでの事故に寄せて2〜韓国に係るということ

[政治・経済・社会][本]アシアナ航空体験記〜お笑い韓国航空会社のアメリカでの事故に寄せて2

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アシアナ航空でのロンドン旅行記の続きです。

アシアナ航空のサービスの現状を確認してみたいと思ったきっかけは、先の記事に書いたように、数年前、本屋で航空業界誌の表紙に、でかでかと「アシアナ航空エアライン・オブ・ザ・イヤー4年連続受賞」という記事が(確か2年連続、の時だったとは思うのですが)という文言が踊っていて、「はあ?!」と思って記事を立ち読みしたからです。

詳細は覚えていないのですが、「安いからかな?」
と思っていたら、サービスが素晴らしく云々〜等と書いてあり、それに大変な違和感を覚えたからです。

朝鮮人の接客がすばらしい?!

朝鮮人という民族について多少なりとも知識のある方であればこの言葉に凄まじい違和感をすぐさま覚えることでしょう。
もちろん、ある程度朝鮮人というものの生態、特に現在の行動様式というものを、ネットででも調べておけば、朝鮮人を褒める出版物やTV番組、映画などはすべからく下記の2つのうちのどちらかであることはご存知でしょう。
1.朝鮮人自身が作ったのであれば根拠の全くない脳内妄想であるか、捏造
2.朝鮮人が作ったのでは無ければ金をだして彼らの言うところの「ステルスマーケティング」(大笑い)記事

特に、1の捏造記事を量産することに関しては、もう誰がなんと言おうと精神病患者の域というしかなく、何しろ一般人のブログがどうこうというレベルではなく、公的機関から、ありとあらゆる会社の広報や社長、果ては政府機関に至るまで、毎日のように根拠のないデマを飛ばしては、モノの1日もたたずデマでした、という恥を晒しています。
これが国内の案件に関してのみであればそれもまあお国柄、と言えなくもないのですが、相手の意向も確かめずに、というのを外国相手に、それも自分たちと同じ感覚で外国の政府機関がこういったの、ああいったの、息をつくように嘘をかましてくれるので、もはや朝鮮民族国家、韓国が何がしか報道したら基本的にそれはデマだと考えるのが当然の国際常識となりました。

何しろ、アメリカとの軍事協定絡みですら、アメリカが軍事統帥権の延長に合意したなどと、大統領府から「韓国の」「一流紙」に声明を出すありさまで、即日否定される、なんていうのを事あるごとに繰り返しているんですから、国家機構とはいえず、単なる「部落地域」扱い、「大統領」何ぞではなく「酋長」呼ばわりされるのも当然の話しです。

説明が長くなりましたが、要は、
「韓国の航空会社がすばらしいサービスだとアンケートで一番になって賞をもらった」
などという報道があったら、とりあえず賄賂でも渡して買収したんだな、と考えるのが、国際常識である、ということです。
あの記事を見た当時の私は、韓国という国が賄賂攻勢でこの手のことをする国だとはわかっていましたが、国家の威信をかけた大きい案件のみだと思ってたんですな。
で、一応アメリカの賞ではあるし、買収せずにほんとにとったんだろーか ?
まあ、そもそもこの賞がどれくらい権威のあるものかわからないけどさ、と思ったわけです。

それに加えて、凄まじい違和感があったのは、朝鮮人特有の、儒教思想を煮詰めて腐らせたような労働観から、朝鮮人に接客などのサービス業で、世界最高の日本式接客を抑えて一位になるどころか、そもそも、まともな接客など出来るわけ無いだろ、という疑問が渦巻いだのでございます。

儒教思想をこじらせた労働観、というのがどういうものかというと、つまる所は「働くというのは卑しいことで、貴族(両班)たるもの、たとえ餓死しようとも、身の回りの事を片付けるためだろうが指一本動かすのは恥である。
知識階級たる両班以外は全て卑しい奴隷で、奴隷には何をしても良い。だから、両班たる自分がやることは、試作することと、それを書に記すことだけで、そのための紙を自分で用意することはもちろん、墨をすることだとてやりはしない。奴隷にやらせるのだ。そして、卑しい奴隷には声をかけてやるだけでも光栄でひれ伏すべきなので、一切の敬語などは必要なく、俺様が話しかけてやってありがたいと思えと、言葉の端々にまで漂わせなければならない」
というのが、朝鮮民族の常識なのであります。

この、朝鮮人思考について初めて触れたのは、この間またしても韓国に入国拒否され、あいも変わらず韓国が土人国家だと世界に晒してくれた、呉善花氏の著作、スカートの風のなかの逸話である。

氏が日本に留学して間もない頃、韓国の陶器職人の店に日本人を連れて行ったが、そのさい、職人なんぞと話す自分が恥ずかしいので、お前なんかにこの身分高い(職人ではないから)私が恐れ多くも話しかけてやっているのだぞ、とふんぞり返って無礼な言葉を連発したのだが、彼女はそれを、職人に対して口を利いてやっているのだから大変親切なことをしたつもりでいた、というくだりである。

一緒に行った日本人は、楽しげに敬語をつかって、その職人と会話をし、買い物をして、その後彼女になんで卑しい職人なんかにあんなに親しげに話しかけるのか、と尋ねられ、「だって、あの人は登記の専門家でものすごい知識を持っている。尊敬するのが当然じゃないか。なんであなたはあんな無礼な態度をとったのか」
といわれて、自分は卑しい職人に口を利いてやって、ものすごい親切なことをしてやったのに、この日本人は何を言っているのか、と思った、という・・・。

私は、自分の考えとは違う思考、自分の国とは違う文化について調べるのが子供の頃から好きなたちで、特に日本人との道徳観や常識からかけ離れた思考をする西洋人の思考回路、それに賛同するわけではないが、どういう理屈でそういう思考ができているのか、を解き明かすのは大好きであった。
そして、中学時代に全く興味の対象外だった、全く興味をひくことのないみすぼらしい、薄汚い、惨めで卑屈な貧乏国である韓国という国に、同じようにその思考を辿ってみようと思ったのは、あの国に好意的な興味があったからではなく、在日朝鮮人どものキチガイ行為や、北朝鮮の発狂独裁者などから、どんな土民思考か理解しておくべきであると思ったからだ。

にしても、何十年も前に読んだ書籍だが、あの本全体を通して一番印象にのこり、絶対に忘れられない逸話となった、朝鮮人思考の根幹をなすものがこれである。

日本人は当然であるが、一般の少なくとも先進国といえる国家において、先進国でなくとも精神文化の豊かな民族や国家においては、自分がサービスを受ける立場であるからといってサービスを提供する側の人間を蔑み、ぞんざいな口をきいたり、無理難題をふっかけたりするような輩は育ちの悪い、教養のない、金の力で自らの劣等感を隠そうとする小物という共通認識が有るはずで、どこの国にも一定レベルでその手合いはいるにせよ、常識としてそういう輩は軽蔑されるものだと思っていた私には大変な衝撃であった。

朝鮮民族の国、韓国では、一般常識として、どう考えてもまともな職業であるところの職人や、サービス業などの「知的職業」以外の人間を、わざわざ貶めて扱うことが一般常識なのだ、ということ。
そんな考え方をする民族が、しかもそれが特殊な一部人間ではなく、国家を上げてそれを常識としているということが、にわかには信じがたかった。

とは言え、そういうふうに朝鮮人の思考回路を解き明かしてもらうと、あの民族のやらかす多々のキチガイ行為が、彼らにとっての「常識」なのだと理解できるようになる。
もちろん、理解とはあれは「彼らにとって」普通の振る舞いなんだな、と思うだけのことであって、それを認めると言うことではない。

・・・例によって長くなったが、こういう知識がガッツリ頭に入っていた私にとって、人様に食事を配って回ったりするような接客業を、朝鮮人がまともにこなすなどということは有りえない、という思いがあったわけです。
実際、それまで、大韓航空の接客の凄まじさとか、朝鮮民族思考の産みの親である共産シナの航空会社の接客の凄まじさは伝説となって世界中に拡散していたわけでありますからして。

それが、「素晴らしいサービスが受賞の最大の要因」とかホルホル記事がでてたら、確かめてみたいとか思いませんか?

・・・今ならもちろん、思わないのですが、当時は思ってしまったのですよ。
続きます。



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