玄奘西域記 2 靖国の英霊に託されたもの

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ

玄奘西域記2回目です。
例によって、本の内容とはかけ離れているかのような私見が延々と詰まってますが、とりあえず本の中の、私が大好きな、今日のお話に関する場面の説明をば。

話のはじめの方で、突厥の王子ハザク(盗賊をやってて屈支国で捕まっているところを長捷さんに助けられた)が、玄奘の兄の僧・長捷さんに、取経の意義について尋ねる場面があります。

このハザクは、突厥の王がインドのバラモン階級の姫を誘拐して妾にして生まれた王子なんですが、外国人で仏教徒だと言うので母親共々いびり倒され、母親はそれが原因で死んだような物、と言う背景があります。

「屈支僧はああだったし
俺の父など宗教なんか侵略の方便にしてしまってる。
この国のように金儲けに利用する物もあれば―
宗教を・・他人を排する口実にする者もいる・・・
いくら有り難い教典でもそういうやつらに持ち帰ってなんになるって言うんだ?」

長捷さん答えて曰く

「仏教の教祖もな、人からそう尋ねられたと言う話がある。
尊い教えが長い時の果てゆがめられることを恐れた弟子が仏陀に問うたと言う」

「後の世にこのような教典がこのような形で説かれたとしてそれを真実と考える者が誰かおりましょうか」

仏陀は答えたと言う

「そのように考えてはいけない。
後の世に徳のそなえた者がいてこれらの教典がこのような形で説かれた際
それを真実と考える心を生じるに違いない
そのように考えましょう」

「人を排した人にもいつか仏心が芽生えるやもしれぬ。
尊い教えがゆがめられているのならわしはただ正しく伝えたいと願うまでじゃ・・・」

「別に仏教徒になる必要は無いそなたは自由じゃハザク」


幾重にも、深いことばです。
自分がなにがしかの事を成そうとするとき、それが、誰かに認められる、確固たる成果を上げられると確信できないのであればやる価値はないのか?

そうではないだろう。

どんなに日本人が善意の限りを尽くして助けてやり、思いやりを示し、規則を守って振る舞っても、こんな馬鹿正直な奴が居て幸いとばかり、搾取に取りかかる事しか考えない、土民の振る舞いを止めない人間がこの世のほとんどです。
それなら、自分だけ道を踏み外さないのはばかばかしいと、一緒になって土民になるつもりでしょうか?
日本人であれば、そんなのまっぴらごめんでしょう。
自分が生きている間に、事態が好転する様を見る事はできないかもしれない。
けれど、これは自分が心から正しいと信じる事ができる事であり、また、日本同胞という志を同じくする仲間が居る。
なにより、諸外国と日本とを並べて比べれば、誰が見たって日本文明による平和と文化度の高さは一目瞭然で、単なる民族ヒステリーによる妄想だなどとは片付けられない。
無駄だと思っても、ひたすら、正しいと思った事を淡々とやる。

この場面を読む度、思いおこす経験がある。
大学時代、とある武道の部に入っていてその師範と言うのが戦争経験者の、超小柄で心臓病も持ってるおじいちゃんだったのだが、まー強い強い。
で、この師範が大学の部活の師範になりたての頃、道場の玄関の靴はてんでんばらばらだったそうな。
師範は、どうせい、とは言わず、毎日、黙って靴をそろえ続けた。
しばらくして、誰も靴を脱ぎ散らかす物は居なくなったそうな。

正直、この話は日本人だから師範が生きてる間にこういう結果になったんだろうな〜とは思う。
これが中国人だの、西洋人だのであれば、金を払って居るのだからそんな事はそいつがやるのが当然とか言い出しそうだ。(いや、別に金など払ってなくて師範のボランティアだったんですけどね。民間の道場であればそうでしょう)
じっさい、学校の掃除を生徒がするなどとんでもない、業者がやるべき、生徒がやったらそいつ等の職が無くなる、と言う考えが、海外では主流なのです。
しかもそれだけならまだしも、土民思考のアホ垂れどもと来たら、わざわざ汚すんだよねえ。こっぴどく。
自分が掃除をする立場で、同じ事をされたらどう思うのか、という思いやりの心、という物が全くない。
明日なんてわからない。優しさなんて見せたら利用されるつけ込まれる、損をする。下手すりゃ殺される。
これが、土民国家の人間の社会常識です。
日本の社会常識と180度違う。
こういう人間相手にどうせ土人だから諭しても無駄だ、とあきらめるのは簡単です。
でも、だからどうしたの、と言うのをこの本の話は教えてくれる。
長捷さんの口を借りて。
無駄だから何もしない、改善する為の努力は放棄する。
けれど、放棄してしまったら、絶対に何も変わらない。
蒔いた種は、条件が揃えば芽吹く事はあるでしょうが、蒔いていない種が芽生える事は絶対にないのですから。

うすらサヨクどもが、ほぼ同じ事を言っても全く心に響かないのに、長捷さんのこの言葉は素直に心にしみるのはなぜなのか。

結局、本心がどこにあるのか、と言う事なのだろう。

長捷さんの言葉は、その言葉通りの意味だが、うすらサヨクどもが同じ台詞をはくときには、その後ろに日本人だけが損をして、朝鮮人支那人だけはうまい目を見れるようにお前等日本人が我慢しろと言うのが台詞の意味だと、どんなに読解力の無い人間でも直感で理解できてしまうのだから悲しいねえ。

繰り返し述べて来たように私は西洋人、支那朝鮮人は日本人とは別種族の、土人種族なので、つきあっても基本的に害にしかならないと思っている人間だ。

しかし。すこし俯瞰して、日本と言う国の歴史と、現在までの世界の歴史を眺めてみて欲しい。

なぜ、日本と言う国はこんなに発展し世界中から注目されているのか。

なぜ、日本は支那土人の歴代国家を蹴散らかし、日本国内に入れず、付き合いもしなかったのか。

なぜ、日本という国は、世界中が西洋土人の植民地にされようというときに立ち上がり、白人どもをこてんぱんにのしてしまうことができたのか。

なぜ、日本の文化が雪崩を打って世界中に配信され、熱狂を持って受け入れられているのか。

なぜ、日本人のスポーツ選手は、あんなにも世界の頂点で沢山活躍しているのか。

なぜ、何度もの災害に際しての日本人の振る舞いが世界中に配信されたのか。

トルコで起きた地震の際、日本人を見習えとの声が上がり、住人たちは助け合い、略奪も起きなかったと言うではないか?

これこそが、天が日本に課した使命なのではないのか。
人間とは、力でもって虐殺する生き物、弱みを見せたらやられる、弱い奴が居たら、他人にとられる前に自分がすぐさま収奪しろ!
こんな土民思想の連中に、現実の世界にまるで天国の住人のように、お互いが思いやりを持って暮らす事で平和で、略奪も犯罪も飢えも無く、ありとあらゆる高度な文化が存在し、それで居て土人の略奪からも自分を守る世界最強の国を作っている民族がいると知らしめ、自分たちだって同じ事ができるのではないかと気づかせる事。

日本人は、思い上がった自分マンセーな土民西洋人のように、他人にお前は間違ってるからああせい、こうせい、などととんちんかんな命令などしない。
ただ、淡々と、おもいやりを持って正しいと思う振る舞いを続けるだけだ。
それは、長捷さんのいうところの岩をうがつ1滴の水に等しい行為だろう。

世界が、思い上がった白人どもの、身勝手な怠け根性で植民地化されようという時、さながら物語の救世主のごとく日本が現れたのは、天の意思ではないか?
靖国の英霊たちは日本の未来を、アジア各国の植民地支配からの解放を祈念して散って行ったが、彼らが守った物はそんな小さな物ではなく、人類が日本人のように、平和で人間同士どころかありとあらゆる生き物同士で思いやりを持ち、自分で働いて自分の生活を成り立たせる文明人へと成れる可能性を守ったのだ。
あそこで、日本が負けてしまっていたら、日本人が、日本文明が負けてしまっていたら、地球は、白人ともの気違い残虐文明に蹂躙されて、今頃世界中が「ローマの地獄」の地球規模での再来になっていたろう。
日本人に、白人どもをこてんぱんにしてもらって、植民地支配から世界中解放してもらっても、大概の国は仏陀が自分の土民国を眺めて断じたように、「現世はこれがすなわち地獄」なのだから。

世界に日本文明が拡散して行くのは、この地球の意思ではないのか。
このまま、西洋土人支那土人的文明が軌道修正しないまま膨張した日には、地球はいずれ悲惨な事になるだろう。
根っこは同じ土民とはいえ、確実に西洋の方がインドや支那に比べて民度は上だ。
根本は変わらないとはいえ、少なくとも表面上は
その、表面の振る舞いを変えるのにも、西洋人たちは血で血を洗う大虐殺の限りを尽くして、さすがに懲りたから、と言う現実があり、どうにかしようと言い出したのだって、つい最近、第一次世界大戦の後の事だ。
遥か縄文の昔から、日本人は和やかに、全く争わずに暮らして来た。
引き換え、同じ頃の西洋人と来たら今と変わらぬ土人っぷり。
中世でも、ルール無用のやりたい放題欲望のままの大虐殺の繰り返しで歴史を刻んだ西洋に引き換え、日本では戦争をしたと言っても、非戦闘民をわざわざ虐殺するなんていう土民振る舞いは全くなく、当然のルールとして領民は保護されていたし破れた敵を拷問にかけて辱めて殺すなどと言う事も無かった。
ところが西洋と来た日には、敵に捕まれば拷問虐殺当たり前、略奪暴行強姦当たり前、というかそれが戦争の報酬、第一次大戦の時でもそんな非人間的行為があまりに酷いから、国際法を作って守りましょーなんて言っても結局自分等が率先して破って有名無実化すると言うでたらめ土民っぷり。

こんな連中、変わりっこ無いと、あきらめて無視する方が日本人は楽だ。
でも、それは天の意思に背く行為なのではないのだろうか。
民度の高い、日本人や、それに順する国々とだけ、楽しくつきあっていれば日本人は楽だ。
でも、気違い土民たちはそれで居なくなるわけではない。
土民をバルサンするのか?
心優しい日本人にそんな真似できようはずが無い。

物語の中盤になって、いよいよインドのナーランダーを目前に、長捷さんはマラリアにかかって倒れる。
臨終の際に、長捷さんが、弟玄奘に、西天取経の度にでるに至った経緯について話す場面があります。

衆生救済などと言いながら原文のはっきりせぬ教典を勝手に解釈しては論争している僧たちに矛盾を感じてー
もっと身近な人々の手助けをする方がよほど良いのではないかと思い病人の看護をしたり老人の世話をしたりの日々を送っていた
しかしわしなどいてもいなくても
毎日人は死に
悲しみの数不幸の数は減らず
時に幾ばくかの助けになり感謝されても
毎日毎日焼け石に水をたらしている
そんな気持ちで生きていた

中略〜弟玄奘との出会い

なのにそなたの生き生きとしたまなざしにであって
ふつふつと希望がわいて来たのじゃ
なぜ今この二人がこの場に居るのか
なぜ同じ時代に生まれ
同じ母より生まれ
なぜその母はあんな夢を見たのだろう
全てはつながっているように思えた
西天取経と言う糸で

焼け石に水?砂漠に落ちる一滴の水?
一瞬で消える 自分のしている事は何の役にも立たぬむなしい生 
わしはいつしかそんな風に考えぬようになっていた
水はやがて石を穿つかもしれぬー
それが最初の一滴でも
時が経てばそこにオアシスができー
木々が茂り実を結び旅人ののどを潤すようになるかもしれぬ
いや
最初の一滴ではないのだ
遠い昔からあまたの人が
うけつぎ
受け継ぎ
して来た事なのだ
そなたはきっと取経を遂げてくれよう
そう思うと胸が満ちてくる

たとえ・・・わしが途中で倒れてもきっと

なぜ、初回の記事の冒頭で、大東亜戦争で散って行った英霊方について触れたのか。
この本の、この下りを読むと、毎回、靖国に祀られている英霊たちの思い至からです。
そう、戦いは終わったわけではない。
我々日本人は全て、英霊たちが、先人から受け継いだバトンを渡されて、まさに今走っている最中なのである。

私は、戦後の豊かな日本に生まれ、ぬくぬくとなに不自由無く育ち、幸せに暮らしてきました。
犯罪被害には何度かあっていますが、幸い、人体に危害が及ぶような事無く、ご先祖様や日頃お参りしている近所の神社の神様のお陰か、無事でありました。

子供の頃から戦争特番は8月になると繰り返し放送され、それは大概、戦争の悲惨さのみを前面に打ち出した物でしたが、戦争の経緯を全く説明しないわけにはいかないせいで、どんなに日本を悪者にしようとしても事実を飛ばすわけにいかない。
そのせいで、読解力のある子供だった私は、なんとか日本人が悪い事にしようという、山のような装飾や、ほめのかしをすっ飛ばして、先の大戦の起きた経緯を正確につかむ事ができました。

戦争しかけたのアメ公じゃん、原爆なんぞ落としやがってふざけんなこの野蛮人が、
東京大空襲絶対許さんぞぼけ、
何がリメンバーパールハーバーだ、自国の兵隊が殺されるのを黙ってみてやがってこの強欲人非人が!地獄に堕ちろ気違いルーズベルト
マッカーサーって本当に間抜けな容貌してるなあ、天皇陛下より上なんだ俺はと言いたいデシゅ、なんて言う幼稚で姑息な意図がバレバレ、恥ずかしい自意識過剰の田舎猿。

等々。
団塊の世代の人間がどうしてあんな洗脳工作に引っかかったのか、私にはさっぱりわからない。
私の父母にしても、全然アメリカ崇拝なんてなかったし、と言うより馬鹿にしてたしねえ。家庭の話題として特にこき下ろす話がたびたびでたわけでもないけど。
何にせよ、あれらの洗脳用編集記録フィルムの中にある、本物の大日本帝国軍の、特攻の記録などのおかげで、私はこれらの方々が命がけで日本を守ってくれたから、そしてその後生き残った方々が必死で働いてくれたから自分はぬくぬく幸せで居られるのだ。
ホントなら、もっと遊びたい、学びたい、結婚だってしたい、本だって読みたかった、そんな若者が、我々を守る為に自分を犠牲にして、あんな体当たり戦法で死んで行った。
故に、残った我々は必死で勉強して、なにがしかの役に立つ人間になり、この国を守って行かなければならない。
怠け心がでたら兵隊さんの事を思え、勉強の気が乗らなかったら勉強したくてもできずに死んで行った兵隊さんの事を思え、と自分を叱咤してきた。
そう、この世で起こる大概の事は死ぬ気になればなんて事ない。
死ぬどころか、捕虜となって土人アメリカ人に生きたまま耳をそがれるような拷問を遊びでされたり、(奴ら今でもやってるからねえ。どうして土人ってのは、人間の耳をそぎ落として首飾り作るのがあんなに好きなのか。別にアメリカ人だけじゃなく、土人ってみんなやってるよねえ。)土人イギリス人に生きたまま油をかけられて焼かれたりした負傷兵の事を思えば、現代日本で起きる事などすべて、どうと言う事は無いではないか。
そして、彼らの分も生きて、幸せになり、そして次の世代の日本人の為に、何か事があった日には今度は私が身を犠牲にしてでもこの国を守るのだ。
頭の弱いうすラサよくの中共の犬どもが、軍を復活すると言うのなら、あなたは徴兵されたら応じるんですね、戦闘に参加して敵兵を殺す覚悟があるんですね!などと抜かしやがるが、

あるに決まってんだろボケ!

行く覚悟が無いテメーラは、日本からでてけや。
ぎゃーつく自衛隊はいらないだの、暴力装置だのと抜かしておいてお遊び慈善ごっこピースボートが海賊の居る海域を自分たちだけで通ったら襲われる事確実だからと護衛してもらい、そのくせ、守ってもらってるその口でもって自衛隊は違法だ、認めないなどと抜かしやがる。
死んでしまえ、馬鹿は。いや、優しい日本人としては、出て行けゴキブリ、日本から。
だな。

長捷さんの、感動的な話の引用あたりで占める事ができれば格調高かったのですが、長捷さんならぬ修行のできていない私には、土人思考サヨクにどのように対峙すべきか、わかってはいても、実行できていない。

連中と同じところに落ちない事。
絶対に、日本が守り抜いて来た、日本人としての信条、文化を手放さず、ゴキブリが何を喚いても相手にしない事。
淡々と、ゴキブリを無視して、日本から排除しつつ、日本の平和な世界を守る為に身を律して働く事。
それに魅かれて修行したいと言う土民国家の人間は、警戒を解かずに、目を離さずに受け入れて、修行させてやる度量を身につける事。
戦前の日本人は、これができる人が大半だったのでしょう。
何をすればいいかわかっているのなら、後は言い訳せずに実行するだけです。

玄奘西域記に寄せて、2回目はここまでです。
まだまだ続きます。
後ぜひとも紹介したい場面が、・・大量にあるなあ。
ここまで書いたので、一気に全て書いてしまいます。
興味の無い方はつまらないでしょうから、玄奘シリーズが終了した後、他のカテゴリの記事を眺めに来ていただけたら幸いです。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ