玄奘西域記 1 

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玄奘西域記 1―Oasis Road綺談 (プチフラワーコミックス)

玄奘西域記 1―Oasis Road綺談 (プチフラワーコミックス)

玄奘西域記 諏訪緑


例によって前書きがとてつもなく長くなります。

この本は、ホンットーに名作中の名作中の名作と言っていいすばらしい本で、
日本の仏教界の僧たちは全員読むべきだし、もし仏教徒を増やしたいと思うのならこの本を大量購入して、幸福の科学よろしく、近所の家に絨毯ポスティングすれば良いと本気で思います。

そういえば幸福実現党は今回も当選0でしたね。
しかも、得票率は前回の半分にも満たなかったとか。
日本国民の民度万歳。

今回の記事は、事前にWordで書いてから貼付け予定なのですが、あまりに長くなって、何部かに分ける予定です。
で、最初の一回目は、本の中身に関連している事ではあるのですが、本の内容に絡めて言いたい事の前フリオンリーで本の内容は全くでてきません(ははは・・)
今回の選挙の事、そしてこの選挙の意味と宗教についての私の考えです。
なので、興味の無い方は今後連続UPいたします、続編からお読みくださいませ。

さて、いよいよ、安倍政権が発足しました。
今回の選挙による政権交代は、戦後のアメリカによるWGIP洗脳から日本国民が解き放たれ、戦前の、本来の日本に回帰する歴史的な一歩となります。

我々生き残る日本国民に後事を託して散って行った、大東亜戦争を戦った英霊たちの、命をかけた尊い信念。彼らは何の為に戦ったのか。

大東亜戦争に散って行った英霊たちは、ほんの数十年前まで実際にこの地球上に当たり前のようにあった、身分制度による凄まじい格差、白人による過酷な人種差別による植民地政策を打破し、この地球上に、差別も無く、上も無く、平和で和やかな国々を作るのだと言う、気高い夢を実現すると言う信念、その為自らの命をかけて散ってゆきました。
自分たちが志半ばで倒れても、きっと、その犠牲の上に生き延びる、日本人、アジア各国の人々が、自分たちの志を次いでくれると信じて。
そして、その志を次いで、アジア各国は全て独立。
日本人も、少なくとも戦争を知っている世代は、散って行った仲間の事を思い、必死で日本を立て直しました。

しかし、その下の世代のほとんどはまんまとアメリカの洗脳政策にやられて、先の戦争の意味を取り違え、支那朝鮮と言うゴキブリ災禍を日本に呼び込む等と言う暴挙をやらかしました。
卑しい白人国家は日本人からその歴史を奪おうと、洗脳の専門家を送り込み、何も知らない子供に、大東亜戦争は日本が起こしたのだ、日本はアジアで虐殺の限りを尽くしたのだ、それを正義のアメリカが止めたのだ、等と事実と180度反対の、よくも恥とも思わずそんな嘘八百を言えた物だという洗脳工作を実践しました。
てめえのやらかした犯罪を全て日本人になすり付けてほっかむり、それどころか自分のついた嘘を自分で信じ込む精神病患者の様相を呈して、アメリカ人と言うのは、まるきり朝鮮人と同じ思考回路を持った、劣等動物なのだと、しみじみ思う次第です。

しかし、ここからが長い歴史を持つ国とアメリカやオーストラリア等という、犯罪者や、自分の国をほおり出して、自分だけがいい目を見ようと、別の土地に逃げ出すような根無し草どもが作った文化も歴史も無い国と、神国日本との違いです。

必死で洗脳工作をやらかしても、地道な日本人の教養者、歴史学者の筋の通った事実がちゃんと表に出て来た。
結果、今回の安倍自民の大勝となったのです。
朝鮮人どもに占領された犬HKほか、マスゴミは安倍自民の外交政策憲法改正国防軍創設、反日国家中韓への姿勢が支持されたなどとは全く報道せず、ミンスの公約違反で国民が愛想を尽かして偶然転がり込んだ政権と宣伝するのに必死です。アホな奴らだ。

「事実」とは、パラレルワールドで起こった事まで含めるならともかくとして、現実世界では何をどうひねくり回してもひとつしかないものです。
特定の日付、時刻、場所において、何が起きたのか。
それは「事実」はひとつだけ。
しかし、「真実」は、人間の数だけどころか、一人の人間の中でさえ何百と発生する事もあります。
「真実」とは、人間の想像力が作り出す、たんなる思い込みだからです。
それ自体を非難する事はできませんが特定人物の「真実」とやらに基づいて、歴史的事件を論評する等、馬鹿も休み休みやってくれと言う物です。
子供の頃、いつになったら国民の大多数が、アホみたいな自虐史観から解き放たれるだろうと思いあぐねていましたが、思ったより早かった。
インターネット様々です。

今回の政権交代は、世界史上に残る一歩なのです。

安倍政権が誕生する事が偉大なわけではなく、安倍さんや麻生さんがやろうとしている事の中見が、それを日本国民が彼らと同じ思いを抱いて支持していると言う事が、世界史上に残る偉大な一歩なのです。

歴史は続いているのです。戦いも続いているのです。
何の戦いか?
日本人の大多数は、今回の選挙が、この国がアメリ土人の無礼極まる大砲外交の当時から連綿と続く、地球上の人類の行く末を決定する、文明の衝突の第二ラウンドである事に気づいていません。

平和と調和、和の文化を愛し、必要も無く人間に限らず生き物を虐待する事を嫌うと言うより、そんな事を行う発想すら無く、世界の圧倒的多数の気持ち悪い男権の絶対化、女性の奴隷化を規定にした宗教文化圏の土人どもと違って、おつむの弱い男がちょっとばかり女より男の方が偉いんだもん!などと喚いても誰もが笑って
「馬鹿が木の股から生まれたって言ってるよー」、と相手にせず、言ったほうが笑い者となり、それどころか遙か縄文の昔から、男はせっせと働き倒して女の飾り物だけ作るような、上がりを全部女に持ってかれても、「まいっか。おれ、かーちゃんすきだしい。カーちゃんよろこんでるしい」ですませ、誰も何も言わなくとも、相手を思いやって助け合う、平和と思いやり、調和の日本文明と、
自分では働きたくない、暴力で奴隷獲得、奴隷に働かせて自分は遊んで暮らす、女は家畜、強姦し尽くして殺し尽くしちゃったら他へ行って食料でも、女でも奪えばいい、拷問、虐殺は純粋に楽しい娯楽だという、西洋的、一神教的、極端な男尊女卑思想文明との、文明の衝突

昨今、「韓流」などといって、南朝鮮人が税金をしこたま投入して、自国の整形芸能人が日本でもてはやされている事にしたいと、一大プロモーションをやらかした結果、韓流ゴリ押しが白日の下にさらされ、嫌韓流がすっかり日本国民の間に定着しました。
が、朝鮮土人のやらかすゴリ押し等ある意味カワイイ物で、西洋人どもの自国文化優越思想と、自国文化のゴリ押しと来たらシャレにならないものです。

連中のゴリ押しでたちが悪いのは、
「自分たちの文化のみが正しく、価値のある物で、その他の物は全て価値がなく、間違っていて、自分たちを受け入れないのであれば武力を持って征服し、教化しなければならない。
それでも受け入れなければ、それは人間ではないので、奴隷にするか、奴隷にしても反抗するなら殺さなければならない」
と本気で思っているところです。
一部の頭のいい連中は、日本文明と自国の土民文明を見比べて青くなり、土民根性から日本文明を貶める為のプロパガンダの為に脳みそを絞り、土民の土民たるゆえんで本当に知能が低い、西洋土人下層階級は自分らのボスの言う事を丸呑みにします。
朝鮮人も真っ青。
というか、日本人と一部アジアの一神教およびヒンズー教を信奉しない国々を除くと全て、信じる「神」はちがえど、その考え方の基本は驚くほどに通っています。
そのココロは
「自分たちと同じでない物(同じ考えでないもの)は人間ではないから殺していい、それもできるだけ残虐に殺すと楽しい」
というところです。
アッラーがどうの、エホバがどうの、キリストがどうの、シヴァ神がと言うのは枝葉末葉で、常々なんでこんなに同じ考えの連中がけんかばかりしてるのかうろんに思っていましたが、どいつもこいつも自分だけがうまい汁を吸いたいと、わざわざ同じ物の重箱の隅をつついてどうでもいいような差分を作って攻撃しているわけで、土民本来の性質通りに動いているだけか、と納得した物です。

宗教と言う物は、人間が生み出した物であり、神もまた人間の創造物でしかありません。
と言う事は、作り出した人間性が、宗教や神の性格に反映されると言う事なんですね。

たまさか、民族の中から異端がでて、土民思想を否定して、文明人な宗教を作り出したとしても、宗教が変質して土民仕様にならなければその土地からは廃れて行き、土民宗教がのこります。
インドのように。
仏教は、ヒンズーのとんでもない差別性に嫌気がさした、土民の中で悟ってしまった孤独にして気の毒なシッダールタ王子が起こした宗教ですが、一時的に流行った物の、結局土民インド人の気質にあわず、現在インドに仏教徒等ほとんど居ません。
全てヒンズー教徒とイスラム教徒。
一方、元はそこそこ結構な物だったのに、土民仕様に劣化する事で定着した例はキリスト教でしょう。
キリスト教は、ユダヤ教の教義の差別的なところに異を唱えた、イエスが起こした宗教でしたが、こっちは、土民クオリティに変質させて、ヨーロッパ中にはびこる事になりました。
エスが唱えた本来の教えを守って平和に暮らそう的な宗派はあの地域の長い歴史の中で何度かでてきましたが、どれも例外無く、土民クオリティキリスト教宗派の特権階級軍団によって虐殺、絶滅させられています。
土人精神クオリティになじむのは、土人的考えの宗教だからです。
インドには地球上最低最悪の宗教と言っていい、ヒンズー教という、人間を差別する為の宗教がはびこっており、呼び方はさんざん変われど「非(不)可触賤民」という「非人」階級が国民の半数以上を占めます。
彼らは文字通り、インドで人間ではなく、家畜以下の「生物」としてあつかわれ、毎日のように、各地で不可触賤民階級の女性は、昼日中から町中で、警察官まで加わって、集団で丸裸にされて輪姦されたり、輪姦された後に焼き殺されたりしています。
大げさに話しているのではなく、単なる日常的事実です。
日本で報道されないだけです。
ネットをうろつけば、いくらでも輪姦された後焼き殺された不可触賤民女性の写真等転がっています。
焼き殺すのでなければ、濃硫酸を顔にかけて失明させるとか、殺すとか。
日本の新聞やTV、雑誌等では絶対報道される事はない代物です。
眺めて楽しい物ではありませんし、その手のアングラサイトマルウェア等のウィルスが仕込まれている事も多く、結構危険な部類に入るので、探される方は自己責任で。

おつむのめでたい日本人は、次はインドの時代だ!などとはしゃいでいますが、はっきり言ってインド人なんて、中国人よりさらに民度の低い土人です。
なにしろ、同じ人間を、宗教にかこつけて公衆の面前で、単純に自分の娯楽の為に拷問したり「不可触なほど汚れている」などと言いながら、公衆の面前で大勢で輪姦したり、しかもそれを参加しない人間の誰も止めず当たり前の事として受け止めている。
ぞっとしませんか?
中国人の土人っぷりもYOU TUBE等を通じて世界に広報されていますが、一応、建前としてだけでも、中国共産党は、人民は全て平等であると言っているし、中国の人民は、同胞が公衆の面前で女性を丸裸にして輪姦してから焼き殺すのを、上級人民の権利であって、女がそれに抗議したり、下級人民の女の親族が抗議する等、神にたてつく行為だ、などと言ったりはしないでしょう。
でも、インドではそれが堂々たる常識で、神に仕える人間からしてそれを肯定しているのですからお話の次元が違います。
中国で実際に権力者がやりたい放題に同じような事をしたとしても、少なくとも非難はされる。
しかし、驚くなかれ、カーストヒンズーが国の法律なインドでは、上位カーストが非可触賤民に何をしようが、「絶対に」罰せられません。
非難もされません。
仮に、被害にあった非可触賤民が勇気を持って訴えでて、裁判が始まるまでの間、犯罪者上位カーストとそれを支持する連中に報復になぶり殺されもせず、裁判で奇跡的に何やら軽い罰金刑でも課される事があったとして、その後、確実に訴えでた親族はそれこそ一族丸ごと見せしめに殺されます。

こんな国が発展できる等と、頭にウジでも湧いてんのか、という話です。
猟奇的な殺人犯と言うのはどんな場所にも一定割合で居る物ですが、インドや、アラブ諸国、西欧キリスト教国、ユダヤ教徒儒教思想をこじらせて、自分以外は全て敵の中華思想に染まった支那朝鮮の残虐性というのは、日本人には理解し難い物なのです。

公共のトイレからトイレットペーパーを盗む事を何とも思わなかったり、他人の携帯電話の履歴をのぞいたりするような精神の持ち主の思考回路って、そんな事は絶対しないし、しようとも思わない、というか考えつきもしないと言う人間には何がどうなってそんな事しようと思うのかわかりませんよね?
土民国家の土民族の思考回路はそれと同じ構造で、日本人には理解不能ですが、当然のごとく、土民国の国民どうしてはその思考回路、行動様式が理解し合えるようです。
逆に、彼らには日本人の思考回路が全くわからないようですね。当然ですが。
なので、ATMがおりに入っていないと驚いてみたり、学校で机の中に物を入れておいても盗まれないと驚いてみたり、女性が夜に町をうろついて強姦されないと驚いてみたり、子供が一人で電車に乗って学校に行ってると驚いてみたり、公衆電話を公衆トイレ代わりにする人間が居ないと驚いてみたりするわけです。

彼らは、他者、人間の他動物もそうですが、とにかく、生き物をいたぶる事自体が楽しいと感じる事ができる性質を持った、日本人や、遥か古代に日本から海を渡って別天地に住み着いたような一部アジア人とは、DNAレベルで違う、チンパンジーボノボのような関係であると思った方がよろしい。
同じ人間だ、劣等人種だ等と言うのは差別だ、などと言うお花畑思想からさっさと脱却してください、日本人なら他人の迷惑になる行為は慎んでください。
ご本人だけがお花畑病をこじらせて、土人国家で輪姦されて焼き殺されたりするだけならまだしもですが、(さんざん日本国の世話になって教育やら医療やら受けて育ったくせに、それを返しもせずに外国で殺されると言うのも迷惑っちゃ迷惑ですが)国内で土人の権利を守れ、などとやらかして、移民をふやせなんてアホな運動をやらかし、善良にして賢い日本人の住まいする日本国内に犯罪予備軍土人移民を呼び込まれたら、ほんとーに迷惑ですから。

もちろん、土人国家の人間が全て土人である、などと言う気はありません。立派な人も国によって割合は違えど沢山居るでしょう。
しかし、国家単位での国民性の評価となれば当たり前ですがその国家を構成する国民に、どれくらいの割合で立派な人間が居るのか、と言う話になるわけです。

土民率が90%越えだけど、立派な人も居るんだから差別しないで、という馬鹿が後を絶ちませんが、人間の評判と言うのは、一人の悪評が国家の悪評となるのが地球標準なのです。
「一人一人が国の代表のつもりで」
外国に行く際、あなたはそういうつもりで、日本人の恥とならないよう振る舞うよう心がけるのではありませんか?
それは、自分の行動によって、日本人全体が馬鹿にされる事を恐れるからではないのですか?
もちろん、その国の国民のうちのたった一人の振る舞いだけで「XX人はどうこう」というのは、単なる思い込みでしかありません。
しかし、一人の人間が実際に出会ったその国の人間が、5人、10人と同じような民度であったなら、もはやその印象は単なる思い込みではなくなります。
偶然、土民民度の外国人が、特定の日本人に連続して遭遇するなどという確率はどれほどのものか。
まして、現代では、外国民の評価は実際に出会った人間の中見だけで判断するのではなく、インターネット等を通じて知る、当該国での事件や政治を通して総合的に判断されているのです。
偏見だ、差別だ、などと言う方が偏見の持ち主であると言っていいでしょう。

私は、宗教は害悪でしかないとまで言う気はありません。
が、共産主義が、「宗教は麻薬である」として否定した理由は知りませんが、共感できます。
「宗教は、頭の悪い土民にとっては麻薬にしかならず、害悪である」
が正しいと思いますが。

日本人にとっては宗教は別に何の害悪にもなりません。
それどころかちゃんと人間の成長と社会の安定平和に役立ってきました。

これだけ長い歴史の中で、「宗教戦争」がただの一度も無いと言うのはすごい事です。
聖徳太子の時代に仏教と神道の争いや、江戸の初めに幕府によるキリスト教弾圧に抵抗して天草の乱が起きたじゃないか、と言う人が居るかもしれませんが、宗教戦争とは、戦争に参加する人間が双方、自分の宗教を相手に強要させる事が目的で行うわけで、それ以外が目的だけど戦った相手とは宗教上のごたごたがあったと言うのは宗教戦争とは言わんのです。

蘇我氏物部氏の争いは仏教と神道の勢力争いではなく、政争の旗印のうちのひとつに仏教、神道があったと言うだけで、別に蘇我氏は仏教の為に戦ったわけじゃありません。
単なる政治闘争です。
長崎でのキリシタン大名による暴動、アレも別にキリスト教のために天草の民は立ち上がったわけではありません。
指導者の一部にキリスト教徒が居たのは確かですが、別にキリスト教を守る為に戦ったわけではなく、ろくでなしの天草の大名が領民を搾取しまくったのに対する一揆であり、脇で日本に侵略したくてしょうがない西洋人どもがにやにや介入の隙をうかがっていた、と言う代物です。
一揆に参加した領民のほとんどは食うや食わずの百姓で、キリスト教等どうでも良かった人たちです。
日本侵略をもくろむ、土人キリスト教徒の西洋人に籠絡されて、日本を売り渡すのに躊躇しなくなるキリスト教徒、と言う悪しき前例を幕府に宣伝し、日本からキリスト教を閉め出す政策を盤石にした事件です
あそこでキリスト教徒がぼろを出さずに、幕府が徹底した弾圧を行わなかったら偉い事になっていたでしょう。日本と言う国は、やはり何者かに守られているのだなと思わずに居られません。

ここらでそろそろ本の中身に照らして話を続けたいと思います。
私は、諏訪緑さんの作品はほとんど読んでいますが、この、玄奘西域記は、彼女の作品の中で最高の物であると断言できます。
二番目は、時の地平線かな。うつほ草紙とどちらにするか迷うところですが。

この話は、かの有名な玄奘才蔵法師と、その兄長捷さんが唐を出立して天竺まで取経の度に出かけ、その後、亡くなった長捷さんを除き、玄奘が唐に帰還するまでを描いた物語です。
ここに、当時唐と対立していた、西方の遊牧民国家、突厥の王子、ハザク、玄奘が留学する大学の先輩である僧プラジュニャーカラ、大学の教授、シーラバトラ、当時のインドの統一国王、ハルシャ・ヴァルダナ王などがからんで、お話のことごとくに、作者の宗教に対する深い洞察、人間社会への鋭い視線が感じられて、感じ入ったエピソードの全てについて、書かずにはいられない!
と読むたび思ってしまうのであります。

さて、前フリだけでもこれだけ長くなりました。
1 はここまでにいたしとうございます・・・



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