BANANA FISH


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BANANA FISH バナナフィッシュ 全巻セット (小学館文庫)

BANANA FISH バナナフィッシュ 全巻セット (小学館文庫)

あまりにも有名な吉田秋生の名作。

連載がほぼ終わるあたりで単行本を読み始め、一気にはまりました。
黄色い文庫で、番外編も含め全巻持っていたんだけど、売ってしまった本。
この本に限らず、漫画は、何かの拍子にフラッシュバックしたように、火がついたように読みたくなる事がよくある。
だから、手元に置いておかなければだめなんだ!

徒歩数分の場所に大きな漫画喫茶があるのだが、品揃えがなんと言うか中途半端。
住宅街のショッピングセンターの中にあるのに、一緒にビリヤード場があるせいか、近所の大学の学生が夜中でも遊んでいて、そんなに治安が悪い感じはしないんだけど、こんなベッドタウンのへんぴな漫画喫茶でも、おそらくネットカフェ難民では、って感じに、そう頻繁に行く訳でもないのにいびきが聞こえてきたり。

禁煙、喫煙分かれているとはいえ、行くとものすごいタバコのにおいがつく。

ScanSnapを購入し、漫画喫茶の代金で105円で昔買った漫画を買いまくって自宅書庫を造る事を決意。
もう、漫画喫茶には行かないだろう。

何故本日この漫画について書いているかと言うと、105円でめでたく全巻揃え直した文庫版を現在スキャン中だからなのである。

懐かしの80年代。
今でもそうだが、アホみたいに占領軍が垂れ流した「夢の国アメリカ」しか見ようとしない阿呆共に、この漫画が与えた衝撃はいかばかりだったろう。
最近は、ようやく、この漫画の舞台のようなアメリカの暗部、底辺の現実が、漫画や映画ではなく、テレビのドキュメンタリーなどでも周知されて、アホみたいにアメリカ礼賛する人間は、だいぶ少なくなった。

私は常々、アメリカと言う国はユダヤ資本の牧場、「金」と「武器」と「兵隊」を作る為の「人間牧場」で、「アメリカ市民」とはすなわち、アメリカを支配する資本家の奴隷にすぎないと思ってた。

アメリカのアホみたいな金持ち優遇の税制を、あの国のアホたれ奴隷市民ときたら、「自分が金持ちになったときにたくさん税金を取られるのはイヤだ」などというアーパーな理由で、肯定してきたのだから、アホはしゃぶられていればいいのだと思っていた。
もちろん、低能市民がトチ狂って、金持ちお貴族資本家の財産の分け前をよこせなどと言い出さないよう、幼少の頃から念入りに洗脳した結果と言うか、成果ではあるが。

そうしたら、さすがに事ここに至って、自分らが資本家の奴隷だと気がついたのか、細々と1%デモが始まったが、あっという間に当局に押さえ込まれて尻切れとんぼ状態だ。やれやれ。

物語の始まりをざっと説明すると、
家出した白人の美少年の子供が、コルシカマフィアにとらわれて、「男娼」として成長し、そこから抜け出す為に、自身の高いIQと運動能力を武器にダウンタウンの不良グループのボスにまで上り詰め、さらには国家レベルの新麻薬に関する疑惑の解明を通じて、間接的には政府とまで対峙する・・

物語の設定にはどうやったらここまで絶望的になれるんだと言うような、救いの無い背景しか無いのに、その救いの無い背景の中で生き、出会って人間たちの関係は、どうしてこうも、泣きたくなるほどいとおしい物なのか。

児童売春、女性の強姦、男性の強姦、児童強姦、殺人、麻薬、武器売買、戦争での麻薬の人体実験、人体実験ロボトミー、拷問、報復処刑、児童強姦を撮影したビデオ売買、警察官と犯罪組織の癒着、ざっと物語を思い返してもこれだけは確実に出てくる。

改めて並べてみるとすごい内容だが、あの物語の時代から20年以上過ぎた現在でも、アメリカの現状はこの当時より悪くなっていることは間違いない。

あれだけの物語を貫く主題が、結局は「真の友情」「信頼」「愛情」「信念の為に戦う」などの、うっかりすると赤面するようなモノである事は読めばわかる。

けれど、人間が、空気を吸わずに、水を飲まずに、食べ物を食べずに生きて行く事ができないのと同じように、そのような非物理的な「栄養」が、人間が生きて行く上では必要なのだと私は思う。

「人を信ずる」などと言う事は到底できないような境遇に生まれた、アッシュ・リンクスと、「リー・ユエルン」。
どちらもたぐいまれな才能を持ち、たぐいまれな美貌を持ちながら、幼少時より暴力によって精神的にも、肉体的にも虐待されて育ち、にもかかわらず虐待者に屈服する事無く戦い続け、勝利した。

偶然の出会いで、楽園日本の象徴のような若者、「エイジ」と出会い、それまで、自分がそれを渇望していたなどと思ってもみなかった、「友情」「信頼」を得たアッシュを、「自分と同じ境遇から一人抜け出した者」として憎むようになるユエルン。

その嫉妬から、エイジを殺し、アッシュを自分と同じ境遇に引き戻そうとするユエルンに、元KGBのエージェント「ブランカ」が行った台詞が切ない。

「ユエルン様。あの日本人の少年をアッシュから奪う事は、もう一人私たちを作ってしまうと言う事なのですよ」
「愛さず、愛されず、憎悪と虚無だけが生きる糧の哀れな生をー」
「あいつは、憎んで覇者となるよりも、愛して滅びる道を選んだんです。その命がけの選択を認めてやってはもらえませんか」
「愛さなければ、愛してもらう事もまたできません」
「アッシュは・・少なくともあいつは愛する事を知っています」


「愛さず、愛されず、憎悪と虚無だけが生きる糧」が、「哀れな生」であるなら、
「愛し、愛され、愛情と情熱が生きる糧」である事が「すばらしい生」と言う事であろうか。

ブランカの台詞の対となる、「すばらしい生」を実現するのには、金も、地位も要らない。まして、この物語のような悲惨な状況でもアッシュがその生を実現した事を考えると、自分の周りの状況がどんなに絶望的であっても、それを得られないという絶対的な理由にもならない。

この物語を読み返す度、汚れきった心に風呂でも使わせたかのようにすっきりした気持ちになるのは、自分が最初の一歩を踏み出す勇気を持てば、「すばらしい生」を全うする事ができるのだと気づかせてくれるからなのだろう。



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