うさぎと私


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現在の飼いうさ/ぽぽらんの他に、過去何匹もうさぎを飼ってきた。
初めてうさぎを飼ったのは小学1年生のときで、新宿のビルの下で(お祭りでもなんでもない)道ばたのベニヤ板の上で怪しげなおっさんが小ウサギを叩き売りしていたのだ。
普段は絶対買ってもらえるはずもない、動物嫌いの母親が、根負けして買ってくれた真っ白で、赤い目の、手のひらに乗るくらいのうさぎ。

「りりーちゃん」と名前を付けて、妹も私も夢中になった。
このリリーちゃん、それまでのうさぎと言う動物の概念を覆すくらい賢く、なつっこく、かわいかった。
兎小屋も無い事から、縁側で段ボールに入れて放し飼いだったのだが、「りりー」とよぶと、たたたーと走ってきて、ちょこんと足の上に乗っかるのだ・・・!
呼ばなくても人間のそばに来たがるし、居間で人が何か食べていると、「ちょーだい」と前足ぽんしてきた。

リリーを置いて、学校に謎行きたくなかったが、学校に行く前リリーにあいに行き、老化をでようとするとたたたーと追ってくる。
「りりー、だめだよ、止まって」というと、そこでぴたりと止まるのだ。
なんてかわいい・・・!

でも、幸せな時間は大して長くは続かなかった。
「屋台のうさぎなんてすぐ死ぬから」
母の言った言葉に「そんな事無いもん」問いってはいたが不安に思っていた。
1週間はすぎ、10日も過ぎ、もう大丈夫と思った1月も立たないある日、昨日まで全く元気だったリリーは段ボールで冷たくなっていた。
獣医に連れて行く暇もなかった。
今でも、あのふわふわの赤い目のうさぎを思い出す。

次にうさぎを飼ったのは、小学校3年生の時。知り合いが、飼えなくなったのでパンダうさぎをくれると父がもらってきたのだ。
しかし、このうさぎは既に大人で、しかも小ウサギの頃からリリーのような飼われ方をした訳ではないらしく、全くなついてはくれなかった。

子供の頃、アンゴラ兎を飼って小遣いをため、欲しいカメラを買っていたという父が、庭に兎小屋を造ってくれ、父の言に従い、友達と毎日アザミを摘みに行った。
母は、うさぎを飼うなんて大反対で、えさ代も出してくれなかった。あんたたちの小遣いで飼うんですよ、という訳だ。
当時埋め立て地のまま放置された土地がまだまだ沢山あったような住宅地で、うさぎのえさなんてしゃれた物はほそぼそとしか売っていなかった。
小遣いでパンの耳を買い、キャベツを飼い、あれば時たまペレットを飼い、毎日アザミとハコベをとりに歩いた。
(いや、戦時中ではない昭和50年代)
でも、このうさぎは冬の寒い日、えさを食べず具合が悪そうだからの家の中のストーブの前に置いて、土曜日で獣医さんがやっていないから、月曜日に連れて行こう、といっているうち、翌日の朝、私の見守る中息絶えてしまった。

最後までリリーのような懐き方はしてくれなかったが、あのうさぎの為に毎日引っ越したばかりのあの家で、かごを友達と二人で持って、アザミを探して歩いたのは楽しい思い出だ。思うに引っ越し先であんなに早く友達ができたのは、あのうさぎのおかげではなかったか。パンダうさぎの名前は「ポン太」と言う。
・・・こういう名前が好きなのだ。

その後飼ったうさぎは全部でぽぽらんを含め、一時一緒に暮らした妹のうさぎも含めると、6匹。
今生きているのはぽぽらんだけだ。

そして、このうさぎが私の飼ってきた歴代のうさぎの中で一番長生きで、一番性格が穏やかで、馬鹿だけど賢く、お行儀がいい。
20年とは言わない、せめて18年くらいは一緒に暮らしたいと願う今日この頃なのである。


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