部屋と心のシンプルな掃除:ドミニック・ローホー

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「シンプル」をキーワードにしたエッセイで世界中でベストセラーを連発している、ドミニック・ローホー氏の近著です。
図書館で借りようとするととんでもない数の予約が入ってます・・・。
現在1冊予約中。
この間1冊借りた本は、「シンプルに生きる・ストレスからの解放」だったが、正直これはあまり心に響くところが無かった。
他の著書を立ち読みして、生活上のこまごまとした事を行う際に、ぐずぐずしていてストレスがたまるのを解決する方法と期待して読んだら、わりと精神世界のストレスに関する話で。
購入見送り決定。

「部屋とこころのシンプルな掃除」は書店に平積みされていたのを半分ほど立ち読みし購入決定。
こっちの方が断然「ストレス〜」に記載されているかと期待した内容だった。

家を掃除する事自体が嫌いな訳では決して無いはずなのに、何故こうも掃除をするのに腰が重くなっているのだろう。

・・はじめの方からカウンターパンチが入る。
「本当の時間の無駄はやるべき事をしない事」

その通りでございます・・・

「中略たいていの場合解決策はたった一つ、「行動に移す」ことです。
残念ながら私たちはこのエネルギーをやらなくてはならない事と全く関連性の無い物事に使い果たし、日常生活の足場を失い、多忙さの渦に巻き込まれて行くのです。」

正直言うと、この本の中に初めて知るような目新しい言葉や、手段が書かれている訳ではなかった。
若い人ならともかく、いい加減年を食っていて、効率化に異常な執念を燃やし、その手の本を読み倒している人間にとっては既知の事ばかりなのだ。
では、なぜ、できないのか?

なぜ、やらなきゃと毎日100万回も考えてやるべき事を終わらせない?
掃除をするのに必要な時間なんて、窓ガラス磨きや風呂掃除、玄関掃除、掃除きかけ、トイレ掃除に洗面所磨き、シンクを磨き、ガス台を掃除したって1時間ちょいでできる。
掃除をした後の清々しさはわかっている。
今すぐ掃除をして、一日清々しく過ごすのと、1週間も掃除してない我が家の床にたまった埃を眺め、1日中やらなきゃやらなきゃと考えてせっかくの休日を潰し、あげく夜の7時に掃除を始めるなどというのが馬鹿な事だともわかっている。
始めてしまいさえすれば体は動く事もわかっている。
物の置き場は決まっているし、掃除道具だって別に山ほどある訳じゃない。
なぜ?

「習慣化」できていないというのはあるだろう。
しのごの考えずに、とにかく決まった時間に、始める事を習慣化すれば、人間は働くものだと言うのはわかっている。
しかし、一体何回習慣化に失敗している?
習慣に失敗するのは、一度に複雑で過大な目標を立てるからだと言う事になっているが、果たして家の掃除を一部でもいいから毎日行うというのは過大な目標と言えるだろうか?
なぜできない?

「一度に一つの事だけをするクセをつける」
これが、今回この本が示してくれた私の現状似ついての解決策だろうか。

「掃除をするだけ」といっているが、実際にはいつも、「あれをやらなきゃ、あれをやらなきゃ」と思って、やってもやっても追い立てられている気持ちから抜け出せない生活が何年も続いている。

一つ一つの「やらなきゃ」の中に、自分にとって本当にやりたくない事などほとんどない。
むしろ楽しい事ばかりなのに、楽しむ余裕が無い。

同時に複数の行為を行う事は非生産的、なぜならひとつひとつに十分な注意を向けることができないからです。それでも注意深くあろうとすると、今度は全てが負担に感じられます」

まさしくその通りだ。
ここで私は過去の成果から学ぶべきなんだ。
過去、同時進行で大量の仕事をして、それで何の負担も感じられなかった実績があったからって、そのような生活習慣がなくなってからも、たとえ作業手順がわかっていても、同じようにはできないのだと認めるべきなんだ。
やればできる事をいつまでもやらなくさせているのは、懸案事項を全て一気に片付けなければ認めないという自分の目標に対する姿勢だ。

「やるべきこと」のひとつひとつが楽しい事なら、わくわくして片付けたい。
「ルーティンワーク」はそれとは分けて習慣化することを納得する事。
「やるべきこと」を片付ける事を優先にして、ごっちゃにし、ルーティンワークをおろそかにし、結果美しくない部屋で精神にまでイライラを呼び込んでいた。

とりあえず、今日から。
「ルーティン」の掃除の手順を確率、美しい部屋で、「ルーティン」以外の事を「ひとつづつ」やって行こう。



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