玄奘西域記 6 美辞麗句を弄する輩に騙され権力者に踊らされて血を流す人々人々

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玄奘西域記シリーズ4回目のつづきです。
4回目は、宗教というのは、一体人にとって必要なものなのか?
という重〜い主題で書き出したわけですが。

前回、あまりにも前座に長く割きすぎて、本から引用した内容について言いたかった事が中途半端になってしまった。。。

玄奘に、政情不安による人心の鬱憤が社会的弱者に向けられる事に対し、問われたプラジュニャーカラの返答。

玄)なぜ不安が高じたら弱い人
を排するんだ?
そんなの変じゃないか!
しゅ・・宗教は元々弱い人たちの為に有るんじゃないか?
なぜその宗教同士までが争って一方を廃そうとするんだ?

ぷ)そりゃまあパトロンのせいでしょうな
世の中が動揺している時代って権力者は仏教を廃したくなるんですよね〜
世が乱れている時王にとって平等思想は危険思想ですよね。
平等は常に革命を含みますからな
そんなときは身分制をふくむバラモン教民間信仰の方が王の身分は守られますもんね
だからシンハラ王も民間信仰を庇護して仏教は排斥したんじゃ有りませんか

玄)それでは・・王はまるで宗教を人心掌握の為に利用しているみたいじゃないか

ぷ)そーですねー

玄)それじゃ・・排斥した方もされた仏教徒も馬鹿みたいじゃないか?
王に踊らされて血まで流して!

ぷ)ハラが立とうが立つまいが
それが宗教の持つ側面である事は厳然たる事実です
政治上宗教は理論統制や人心掌握に重宝に使われるもんです
何熱くなってんですか宗教と権力は持ちつ持たれつの関係じゃないですかあなただってパトロンのおかげで4年間勉強してこられたのでしょう
知らないわけじゃないでしょう?
ナーランダー大学はハルシャ王の援助で成り立っています
それだって仏教がハルシャ王に有益だから援助して来たけれど
昨今の世情ではあの方も方向転換せざるを得ないんじゃないかと思いますよ
あなた・・正法蔵さまがハルシャ王におわれているのはなぜだと思ってます?
仏教界最高権威の正法蔵様を殺せば天竺の仏教はどうなると思います?

人間と言うのはどこまで進化しない生き物なのでしょう。
20世紀は、人類の歴史上まれに見る大事件が続いた時代でした。中でも特筆すべきは、日本を除いて「帝国」がことごとく倒れ、王室も倒れ、身分制による特権階級が(少なくとも制度上は)ほとんど吹っ飛んだ事でしょう。
それにもかかわらず、性懲りもまく「貴族/王族」という特権階級の代わりに、グローバリズム新自由主義が手を取り合って登場!
目新しい思想のようなフリしてるが結局、無責任ぼったくりの、弱者を搾取して特権階級だけいい思いをしようと言う輩が湧いてでて、世界中にゴキブリのように繁殖しています。
「お前らがビンボーなのは努力しないからだ、自己責任だから救いの手なんか差し伸べない。俺が強者なのは努力したからだ。だから何でも好き勝手していい」という新自由主義と、
「俺は貴族だ、王族だ、特権階級だ、だから非特権階級を搾取していいんだ。非特権階級がノタレ死のうと、特権階級様に関わりはない事だ」
という中世の絶対君主どもと、全く言ってる事に差分はないでは有りませんか。
ほんのちょっと表現の仕方が変わっているだけで、法律でその主張が裏付けられていないだけで、その言葉の表現する現実の世界は全く同じものです。

「政治上宗教は理論統制や人心掌握に重宝に使われるもんです」
こちらに至っては、「宗教」自体、全く、おかれた状況に代わりは有りません。
なにも、「政治上の理論統制や人心掌握に重宝に使われる」のは、宗教法人を名乗る「宗教」だけではありません。
自分の主張通りに動かす事ができる怪しげなスローガンの類いは要注意です。
「民主主義をまもろう!」 「共産主義を守ろう!」
「正義の為に残虐なイスラム教徒を殺そう!」 「聖戦のためキリスト教徒を殺せ!」 
「格差なんてない、努力をしない人間は野垂れ死んでも自業自得だ!」 「自由競争に任せれば自然に不合理な業界は淘汰されて、結果国全体が豊かになる!」 「貿易によって世界と仲良くしないと生きて行けない!」等々等々・・・。

そして、これらのスローガンにころりと騙される馬鹿な民衆と言う関係も全く変化が見られません。

殊にアメリカと言う国は、あんな短い歴史の中で、よくもこれだけころころと騙されるもんだと言う位、大統領が変わればそれだけで武器商人の儲けのための煽動にころりとやられて
「USA! USA!アメリカこそ正義!正義のために戦うおれたち!」と喚いては、武器商人や石油商人の利益のために侵略戦争に出かけては負けて帰ってきます(笑)
別に負けたっていいのです。
戦争さえ有れば武器商人はアメリカにも、敵方にも、たんまり武器弾薬を売りつけられて、武器以外の周辺商売人も、仲良しグループの権力者がガッツリ抑えてから戦争始めますから、非権力者は踏んだり蹴ったり下手すりゃ死ぬし、もっと悪ければ被爆して白血病になったり、手足切断のだるま状態になって、生きて行くのが大変困難になったりしますが、陳腐なスローガンに騙されて嬉々として戦場に出かけるような馬鹿がどうなろうと権力者は痛くも痒くも有りません。
絶対君主制の時代には言論の自由は法の統制によって取り締まってきましたが、現代ではマスゴミを権力者が買収しきってしまったのでまあ、同じようなものです。

笑えないのは、この状況が玄奘の物語にでて来た仏教徒と権力者(王族)の関係とまるで変わりがない事です。

玄)それじゃ・・排斥した方もされた仏教徒も馬鹿みたいじゃないか?
王に踊らされて血まで流して!

馬鹿みたいじゃなくて、馬鹿なんですね。
まさしく。

「宗教です」と言っているものだけが宗教なのでは有りません。
特定の人間の利益の為の行動をそれと悟られない為の看板である主義主張もまた、宗教と同じ手法を使って人を騙すものです。

次では、やっと、「宗教とは人にとって必要なものなのか」についての玄奘を語りたいと思います。

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