CIPHER_償う事のできる罪と償う事が不可能な罪と罪の謝罪

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Cipher (第1巻) (白泉社文庫)

Cipher (第1巻) (白泉社文庫)

いつまで聞いた事の無いような古い本の紹介をするつもりだ、と言う声が聞こえてきそうですが、
あえて空気は読まずに投下します。

成田美名子さんの名作、CIPHER 

これも、私が中学生の頃に連載が始まったものです。
この前作品である、エイリアンSt. に小学生時代にはまりまして、その後の新連載と言う事で期待に胸膨らませ、全部雑誌で読み、かつ単行本もリアルタイムで購入していました。
もちろん、当時のものをつい最近まで持っていたのですが、全て裁断、ScanSnapで電子化終了しました。

正直、連載が始まった際には、アメリカの学生生活を描きたいだけなのかな〜と言う感じに生温く読んでいたのでありますが、後ろの方に来るとどんどん真っ暗な内容に。

ご存じない方の為にざっとあらすじを説明しますと、NYが舞台。アート系の高校に通うアニスと言う女の子と、同じ高校に通い、既に子役時代からプロの俳優として活躍し続けている、芸名CIPHERと、SIVAの双子の兄弟が主人公のお話。

この双子が、訳ありで、高校に一人二役でSIVAとして通っている事を、アニスが偶然知ってしまった事から、物語は始まります。

一見、主題は一昔前の「友情」「信頼」「愛情」〜みたいな感じで始まるし、それも主題の一つではあります。

サイファの台詞だったか。
「友人ってのは、他人に対する最高の尊称だと俺は思うぜ!」
と言うアニスの台詞に対する、
「アンタにとっての「友人」ってのは、こんなもんなんだぜ」
と言う台詞(すいませんうろおぼえ。正確じゃないです)なんかに主題がにじみ出てます。

成田さんのそれまでの作品の主題がまさしく「信頼」「友情」オンリ〜のような、初期の作品だからとはいえ、何となく金八先生チックな話ではあったのですが、この作品は書いてた結果暗くなっちゃったと言うより、最初から「贖罪」を主題に据えていたのだろうな、と思われます。
物語の始まりに、聖書のカインとアベルの台詞が暗示として出てくるあたりからして。

で、読んでいない方の為に話の内容全てを話すのは控えるにしても、あらすじがわかっていないと私の話が進まないのでざっと説明します。
私がこれから書く事に関係する部分だけ。

以下ネタバレ注意報


高校最後のドラマにSivaとして出演するCIPHER。
その頃、SIVAは、そのドラマの相手役になる女性ディーナに偶然、恋をします。
彼女は、当然、相手役のCIPHERをSIVAだと思っている。
二人は実は両思いなのですが、CIPHERとカップルになる訳にもいかないので、撮影が終了するまで、告白はしないでほしいと、CIPHERはSIVAに頼み、(この頃まだディーナ側の気持ちはわからないし、告白した結果、下手をすればディーナが脅迫者になる可能性だって否定できない訳ですから)SIVAはそれを了承。
「いい感じ」を保ちつつ、友達の距離をまもり、相手にも告白されないよう振る舞っていたCIPHERですが、不意をつかれてディーナに告白されてしまいます。
それを断らずにどうにか返事を待ってもらう為の嘘をつき、一安心・・していたところ、なんと、ディーナが、交通事故で死んでしまう。

全てはCHIPERとSIVAの間で相談をして、二人が納得の上で行ってきた事。
交通事故は二人と関係のない事。
嘘をついて、ディーナの告白を受け止めず、二人一役の事を告げるのを後回しにしたから死んだ訳でもないし、告白していたらディーナが死なずに住んでいた保証もない。

・・・それでも、です。
この事があってから、元から決まっていた事ではあるけれど二人は二人一役を解消、CIPHERはL.Aへ移住し、一人でCIHPERとして役者に復帰します。
そこでの、ルームメイト(大家)となったのが、日系人のハル。
一見、強く明るくイージーゴーイングで友達いっぱい。
迷いもないぜ!
何でもできちゃう!
やる事為す事アメリカンクレイジー
みたいなハル。

CIPHERは彼と最終的には「親友」となるCIPHERなんですが、その過程で、SIVAや両親との間に横たわる「罪」に思い悩み、悪夢にうなされて起きた時、ハルに聞きます。

「ハルが、誰かに、取り返しのつかない悪い事をしてしまったとしたら、どうする?」

ハル答えて、

「謝る」

「・・・シンプルだな。誤っても許してもらえなかったら?」
「許してもらえるまで、気が済むまで謝る。それでどうにもならなかったらあきらめるしかないだろ」

このやり取りが、今回のブログのお題です。

サイファと同じような「罪」に限らず、そもそも「罪」とは、そして、「罪を償う」とは、「謝罪をする」とは何なのか。

まず、「つみ」と言うものは、「犯罪」とは別のものであるということ。
今回のサイファとシヴァの間に起こった事も、(二人一役は立派な犯罪ですが)「犯罪」かと言うと・・ああ、一応詐欺にはあたるか。
でもまあ、本質と関係ないのでスルーして。

辞書で「つみ」を引いてみましたら「罪」とすると「ザイ」となって、微妙に違う内容になってしまったので、大和言葉で。
1 道徳・法律などの社会規範に反する行為。「―を犯す」
2 罰。1を犯したために受ける制裁。「―に服する」「―に問われる」
3 よくない結果に対する責任。「―を他人にかぶせる」
4 宗教上の教義に背く行為。
㋐仏教で、仏法や戒律に背く行為。罪業(ざいごう)。
キリスト教で、神の意志や愛に対する背反。
[形動]無慈悲なさま。残酷なさま。「―なことをする」「―な人」

・・と出ました(goo辞書です)

この中で、今回私が論じたいのは、2、3番。本質的には3番です。

サイファの言うところの「悪い事」は3番になるでしょう。

3に関わらない1はないけれど、1に関わらない3はあり得る。
「良くない事」でない「犯罪」はないけれど、「犯罪」にならない「つみ」はある。

「つみ」を償う、と言う言葉を良く聞きますが、そもそも、「つみ」は償えるものであるのか?
「つみ」に対して謝罪する、とはどういう事を指すのか。

ハルは、「悪い事をしたら、気が済むまで謝る」
これを「罪に対する償い」とは言っていませんが、「誰かにとても悪い事をしてしまったときの自分がとるであろう対応」として回答しました。
まあ、実際になにか本当に相手に損害を与えるような「悪い事」をしたときに、口先で謝罪の言葉を述べるだけで住ませる事はないだろうと推察しますが、損害賠償としての金銭がらみの点をのぞいた行動としては「謝罪の言葉を「自分が」納得するまで相手に対して口にする」ことを、「償いの行動とし、それが「謝罪」であると。

これに対してのサイファの意見らしい意見、サイファ以外の人物からの意見は物語の中に出てはきません。

なので、作者の、「つみに対する償いとなる行為」は、物語の結末から推察するしか無いのですが・・・
はっきり言って、サイファの侵した「つみ」はシヴァの侵した「つみ」と、とんとんであること、シヴァのサイファに対するわだかまりは、自分とて同じつみに加担した人間であるのに被害者ぶっていたのが、目が覚めた、といった結末になっているので、私が言いたい、
「つみ」に対する、「償い」「謝罪」とは状況が違ってしまっていて、なんとも。

なので、ここでは、作者が提示した、ハルの「償い」の方法について限定して論じます。

誰かに、自分が、取り返しのつかないような「つみ」を侵した時、どうすれば良いのか?
相手に対して、もしくは被害を受けた人が亡くなってしまったとした場合、その遺族に対してどう振る舞う事が「謝罪」「償い」となるのか?

わたしは、ハルが言うような、「自分の気が済むまで謝る」と言う行為は、場合によっては単なる自己満足にすぎないと思います。

「謝罪の言葉を述べる」事が有効であるのは、謝罪する立場の人間がその言葉を述べるだけで被害者の被害感情が霧散する場合だけではないでしょうか?

例えば、被害者にとって大して大事ではない、筆箱とか、そんないくらでも買い替えがきき、値段も対した事がないものを破損してしまった。 
そういう場合であれば、「ごめん」の一言で済む事も多々あるでしょう。
日本のような国であれば特に、使い古した筆箱なんて、弁償してもらうのも恥ずかしいかもしれない。

でも、あたりまえですが、この世でおきる「犯罪」や「つみ」は、買い替えが効くとか、元の状態に完全復旧させることが不可能である事例が大半を占めます。

サイファとシヴァとディーナの間に起きた事例然り。
死んでしまった人間との間の事は、神であろうとも修復する事は不可能です。

私は、「つみを償う」とは、被害者が、「つみ」を侵した人間のやらかした事がなかった状態に戻す事であると考えます。
それができない限りは、「償い」をした事にはならない。
そして、この世に置ける「つみ」には、「つみ」を侵した結果として発生した状況を元に戻せる(完全に償える)ものと、そうでない小野があります。

この世には、金でどうにかなる事は多数存在します。先に挙げた、筆箱の話しかり。
ただし、それが100円ショップで買える筆箱であったとしても、例えばその筆箱が、既に亡くなった母親が、母子家庭となり苦しい家計の中から、子供の為に無理をして購入して渡してくれたと子供がわかっていて、とても大事にしているものであったら?
金はうなるほどもっている、だから既に生産されていないその筆箱を、寸分違わず新品で作って返したとしても、それは「つみ」が起こる前の状態に被害者の状態を戻した事にはならない。

なぜなら、新しく作られたその筆箱は、被害者がその母親からもらった筆箱ではないから。
母親と、自分と一緒に過ごした、あの筆箱とは違うものだから。
あの筆箱が価値あるものであったのは、物理的な存在ではなく、「母親が苦しい中、自分の為を思って購入してくれたその愛情」にあるのであって、それがない筆箱は、単なる100円ショップで売ってる物質でしかないからです。
この場合の「償い」は、「母親の愛情の象徴を破損してしまった行為」を元に戻す事です。
もしも母親が生きているのであれば、それを別の形で再現してもらう事で「母親の愛情の象徴」を新たに作ってもらい、相手院返す事で「償い」が完了する事もあり得ますが、既に母親がいないとなるとそれは不可能です。
「償う」事が不可能である場合、被害者にどうやって「償う」のか?

被害者の「気持ち」を、「被害が起きる前の状況と、全く同じではないにしても、悲しい、怒り、虚脱感、喪失感などの自分が侵したつみによる負の感情を解消すること」

これが、物理的に「つみ」の結果として生じてしまった状況、物質的変化の修復と等価交換とまでいかずとも、代替になる行為ではないかと思うのです。

なぜなら、単に「もの」が欲しいのであれば、それこそ金をもらってスンプン違わないレプリカを作ればよろしい。
時を経てきた、「そのもの」が欲しいのは、「物質」以外に価値を見いだしているからです。
傷つけられたものが「物質」以外のものである場合、それは「金銭」で「償う」ことはできないのです。

「つみ」を侵したものが、「謝罪」すれば被害者の感情が収まるような「つみ」は確実にあるでしょう。
しかし、そうではないものの方が、断然多い。

その筆頭が、強姦、殺人です。

死んでしまった人は生き返らない。
強姦されてしまった事実は、時計の針を戻してなかった事にはならない。

相手を殺したのだからと、犯人を殺したところで、被害者はよみがえりません。
強姦を侵した人間を、償いとして強姦マシーンにでもかけて、強姦する拷問にかけたところで、強姦された被害者の強姦被害の事実はなかった事にはなりません。

よって、これらの「物理的に償う事が不可能な犯罪」を償う為には、被害者が、「もう許してやろう」と思う事ができるような心境に至るまでのありとあらゆる事を、期限無く実行する事が必要になります。

犯行を侵した側が、これでどうにかなると思う事をいくらやったところで、被害者が犯行前の心持ちになる事ができないのであれば、「償った」事にはならない。
「償う」事ができない「つみ」を侵した人間は、「償い」を完了しなければ法治国家に置ける人権は回復しない。
法律で、一人殺人しただけなら死刑にはなりません
なんて言う話ではないのです。

だからこそ、取り返しのつかない「つみ」のうち、殺人、強姦をやらかした人間については、基本死刑で、と思う訳です。

生かしておいたところで、償うことはできない。
社会復帰って、被害者は社会復帰できないのに、なぜ犯行を侵した側は社会復帰できるのでしょうか?

何としてでも罪を犯した人間を一般社会に放流したいのであれば、被害者の権利、状況を全て犯行前に戻す事を実現してからにすべきです。

不可能な話ではありますが。

そして、「つみ」を侵した人間が、被害者の気持ちも考えずに相手が許してくれる事を強要して謝りまくる、なんて言うのは、自己満を通り越して新たな犯罪です。
「ごめんなさい」で済むなら警察は要りません。

「あやまる」事で自分が責任から解放されたいと思っているだけ、ととられてもしようがない。
最初の最低限の礼儀としての「謝罪の言葉」はともかく、それを受け入れてもらえなかったのであれば、タダ謝罪の言葉を繰り返すのではなく、相手の気持ちが、自分の犯した罪のせいで波立ったのをおさめる為の、別の行動をするべきです。

それが、「謝罪する」「罪を償う」と言う事ではないでしょうか?

誰かを憎む、恨むと言う負の感情を、他人の心に自分の行いで生じさせたのであれば、それを解消する行動をとる事が、「謝罪」であり、「償い」であると思います。
場合によってはただ、謝罪の言葉だけで、相手の心からそれらを消す事ができる。
でも、犯した罪の種類によっては、それだけではどうにもならない事がある。

そういうことではないでしょうか?

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