断捨離と、中国製品不買と、日本再生

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断捨離がらみの本については過去2つほど掲載しているのだが、本家本元のやました ひでこ氏の著作を紹介していなかった。

新・片づけ術「断捨離」

新・片づけ術「断捨離」

この言葉は今や流行語と言うのも恥ずかしいほどに巷間に満ちあふれているので、言葉の意味を知らない人はあまりいないと思われるのだが、誤解され易い言葉でもあるのでさっくり説明する。

提唱者であるやましたひでこ氏が、仏教の行である、断行、捨行、離行からヒントを得て作った造語である。
「物」の流入を断つ、「物」を捨てる、「物」から離れる、と言う意味で、この中の「物を捨てる」と言うところが、日本のがらくたにあふれている家庭にヒットしたと言うわけである。

もっとも、断捨離の目的は、単に物を捨てる事にはなく、物と、それを所有する人間が向き合い、なぜそれを買ったのか、もらったのか、なぜそれを使いもしないのに抱え込んだままだったのかを、真摯に考え、所有する物に象徴された自己の内面の問題に気がつき、現実の問題を解決し、「ごきげん」な生活を呼び込む事である。

「物」とは、家庭にあふれる「がらくた」のことであるのだが、「がらくた」の整理を通して、自己の内面に抱える「執着」「嫉妬」「不安」「怒り」などなどの、「物」をも、整理する為の方法論が、「断捨離」である、と言うのが提唱者の意図であり、かつてのいわゆる「物を捨てましょう運動」と差別化されている点であろう。

この国では、雑誌の売れ行きに詰まったら「片付け」特集を組め、と言われており、「もの溢れ」は国民的関心事となって久しい。

久しいと言っても、悠久の日本の歴史の中では、戦後の焼け野原での「物無し」暮らしを体験した世代が、高度経済成長の金儲けウランかな主義と相まって、「かつては物が無くて大変だった」と言う恐怖心からの溜め込み生活を行った時だけの一時的現象に過ぎないことではあるが。

私自身は、この方法論について特段感銘を受けたと言うところは無い。
正直、かなり大昔、大学生時代よりずっと、このような生活をして来たからである。

私は、子供の頃からとにかく物に執着する性格で、自分の欲しい物、好きな物に関して明確な基準があった。
「自分が欲しい物以外は欲しくない」を、それこそ物心つく頃から貫き通していた為に、親にはさんざん、子供らしくないの、かわいくないのと言われ通しだった。
「何か買ってやろうか」と言って、私が欲しいと言った物が予算オーバーだったりしたら、「それは高いからこっちはどお?」などと言っても、「ならいらない。今日は我慢する。いつ頃だったら買ってくれる?」と、「かならず」言う子供だったそうな。

子供時代は親が買ってくれる物だけで生活していたわけで、「欲しいもの」が山とあり、物を捨てる必要などそうそうなかった。
しかし、大学生となり、曲がりなりにも一人で暮らすと言う事になった際、(実は中学時代からずっと、いずれ一人で暮らす際にそろえる家財道具のリスト化に余念がなかった)せまいアパートで、最低必要な家財道具は何か、そして、物に執着し、物を擬人化して愛してしまう自分の性格から一度購入した物は、どうしようもないくらい壊れない限り捨てるのは困難なのだから、死ぬまで使う事が苦痛にならない、美しく、機能的な物を購入するのだ、と言う明確な意志があった。

「断捨離」の中で、「物」を擬人化してしまうがために捨てられない、と言うのを、「物」は人ではない。「物」をくれた人だと思い込んで捨てられないのは間違いで、くれた人を捨てるのではなく、物を捨てるのだ、というのが出てくるのだが、私の言う「物の擬人化」はそれとは違う。

「物」に魂がある、と考える日本人的心による、「擬人化」である。
森羅万象、この世のすべての物は心を持っている。
これは日本人としての根っことなる価値観であり、これを否定するのであれば日本人とは言えないと、私は思う。

「もったいないおばけ」

物を粗末にすると、物が恨んで妖怪となって化けて出る。

日本人が物を粗末にする事を戒める為に作ったお話であるとは言え、迷信だとわざわざ放言したがる日本人は、そうそういないだろう。

「げげげの鬼太郎」を子供の頃、繰り返し繰り返し再放送で見て育った生粋の日本人である私は、「物を、粗末に捨てる」と言うのは、空襲でも受けて、持って逃げる事ができなかったんです、とでもない限り、許容する事はできない。

「断捨離」で、物を捨てる際、感謝と、後悔の気持ちで手放す事によって二度と使い切れない物を無自覚に購入する事を防ぐ、とあるので、別に断捨離が物を粗末にする事を肯定していると言うつもりは無いのだが、私にはやはり、まだ使える物を捨てると言う選択肢はない。
洗剤を大量に買い込みすぎて、と言うのであれば、1月の使用量で全体量を割って、どれだけの期間で使い切れるか計算し、
「なくなるまで買わないで済む」と割り切り、あまりに大量にあるのであれば、それこそ家の大掃除に惜しげ無く使用して、量を減らせばよろしい。
歯磨き粉、歯ブラシが、30個も出て来て、と言うのなら、歯ブラシなんて1月に1つ交換するのがいい、と言われているしと、1年くらいかけて使い切ればいいだろうし、歯磨き粉としてではなく、シンク磨きの磨き粉として使ったっていいだろう。
少々もったいなくても、1月1本より短いペースで使って、サッシの掃除に使い倒して捨てたっていい。
未使用でゴミにするより、物も本望と言う物だ。
どうしてもさっさと家から追い出したいのであれば、残った分はフリマで売るなりして最後まで責任を全うして欲しいのだ。

こうして、苦労して使い切ったって、ちゃんと無自覚に物を買う事から遠ざかる事はできる。
私の生活はまさにそれで、自分で無自覚に買い込む事は無かったし、赤の他人からは物はもらわないが、家族からやってくる洋服やら、洗剤やら、食料やらの消費に結構四苦八苦した。
実家では、もう物は増やさないと、老後の物の整理を何年も行っていて、そうそう物がこなくなったので、洋服の類いはやっと減って来たが。
洗剤やら、基礎化粧品やらの場合は、がんばれば倍速消費ができる。
趣味の道具や、古本、食器、家具などは、ヤフオクで売るなり、フリマで売るなり、ブックオフに売るなり、ハードオフに売るなりできる。

問題は、売り物になるようなブランド物ではない、洋服、バッグ、靴の類いであろう。
これは本当に厄介で、国産ではなくなったとはいえ、中国産だろうがなんだろうが、日本で、日本企業が売っていると言う事は、ジャパンクオリティーなのである。
よって、10回や20回使ったくらいでへたれてくれる物などは無い。
新品ならまだしも、1度でも使ってしまったその手の服飾品は、まず売れやしない。
幼稚園やらのバザーなどに出しても、大抵は売れ残るのだ。

洋服の類いを「もう捨ててもいい」と思えるまで着たおす、その基準。
私の基準はおそらく一般日本人より厳しいと思うが、

・生地が何となく弱って来て、うっかり力を入れて生地を引っ張ったら割けるかもと思う
ジーンズやジャケットなどの肘や膝に穴があいた、袖口などがすり切れた
・染み抜きなど効かないくらい汚してしまった

このうちのどれかに当てはまらない限り、お釈迦にする気はないのだ。

大抵の人間は、買い物が好きな物だ。
まして、着るものと言うのは「実用」から遠い事が多々ある上、流行と言う物もあるので、新しい物を見れば欲しくなる。
布地に対して、これだけの使い方をして、なおかつ買い物の楽しみを毎年楽しみたい、と言う事になると、手持ちの服飾品の数を、1年で捨てても惜しくないくらいに使い切れる量に減らし、使用頻度を上げるしか無い。

自分でだって、楽しみで多少は服を買うし、その上家族から大半は断るとはいえ、洋服がやって来て、タンスがぎちぎちだった私は、ここ10年くらい、室内着として着用する服を季節ごとに数枚にしぼって使い倒し、数を減らして来た。
しかし、洗い変えもある事だし1季節に上下5、6アイテムにしぼっても、それをお釈迦にするのに最低2年はかかるのだ。

Tシャツをやっと全て追放し、自分で新しいのを買えるようになって以来、私は1年に2枚以上のTシャツは買わない事にしている。
1枚500円で購入したTシャツでも、1年に4ヶ月くらい2枚ローテーションで着用しても、下手すると3年は持ってしまう。
まして、Tシャツより丈夫な衣料品においておや。。

そこで、である。

1年に、たった1枚しか買えないTシャツ。
1年に、たった1枚しか買えない、ブラウス。
2年に1回、たった1枚しかかえないジャケット。
・・・・

世界で一番貴重で高価な土地は、銀座でもマンハッタンでもない。あなた自身の暮らす、家のある土地である。
その土地の、貴重な一部を占めるタンスを占領するのは、大変な栄誉なのである。

そこに、「安いから」と言う理由で、出来の悪い、ヒトモドキ中国人の作った衣料品を突っ込んでよろしいのか。
お金がなくて、安い中国製品すら必要最小限しか買えないと言うのであれば、それはそれである。
しかし、大抵の日本人は物があふれて、「断捨離」などがはやるほどに物を手放したがっているではないか。

なんで、そんなに物があふれて困っているのかといったら、

安物をかうから

これにつきる。
洋服ばかりではない。
家具、家電製品、文房具、台所用品、食器、全て、とりあえずで、必要も無いのに量をそろえようとするから、安物しか買う事ができず、結果生活全般が安っぽくなり、満足できないからまたぞろ安物を買う。
安物とはいえ3回使ったら壊れてくれれば捨てられる物の、使いづらくても壊れはしないから、同じ用途の物がどんどん増殖する。
家電メーカーの技術者が、残業に残業を重ねて設計し、やっと送り出した製品が発売して3ヶ月で低下の10分の1になって売られているのを見るときの悲しみ。
一昔前の日本製品の家電に比べて、安っぽい上にも安っぽい、すぐに壊れて当然と言わんばかりの家電の数々。
こんな、アホな事は止めませんか。

洋服は、1アイテム、1季節、1着づつで十分足りる。
靴なんて、上等のベーシックな物を買えば、5年どころか10年、20年底を張り替えて保つ物だ。
捨てる罪悪感から解放され、上等の物だけに囲まれて暮らす、上等な私。
物を使い捨てにするのではなく、物を愛し、大事にし、修理して長年使い込む丁寧な暮らしをする私。
買ってから10年以上、どこにも不具合無し、修理なし、丁寧なサポートセンターの対応でストレスフリーな家電暮らし。

そのような、一昔前の理想的日本人の暮らしを支えるのは、日本製品ではないのでしょうか?
少なくとも、無学で、凶暴で、他国を野蛮な暴力で侵略し、環境保護?なにそれおいしい? 放火だ暴動だ略奪だ強姦だ拷問だ、の蛮族が作った、どんな危険な化学物質が紛れ込んでいるかわかった物ではない中国産では、理想的日本人の暮らしは実現しない。

もとより知性などあるとは思っていない中国人どもが、幸いにも中国などに金儲けしたい一心で道義を捨てて工場など立ておった日本企業の工場を焼き討ちしてくれたのだから、これを天からの警告と知るべきでありましょう。

今この時期、断捨離という、日本人の戦後消費生活に対する自省を促す方法論が流行にはやっている現実、それがちまたに行き渡ったときを見計らって、グローバリズムで何でも安ければいいと言う価値観への反旗が揚がったのは、偶然であるとは思えないのです。

世界は転換期を迎えている。
グローバリズムはとうの昔に終焉を迎えており、業種の独占を行い、資本家による安かろう悪かろう製品の押しつけ販売も終焉を迎えている。
物が売れないのは、買い手が欲しいと思う、品質のいい、生活の質を上げる、心を込めて使い手の事を思って作られた物を、大企業が作れなくなっているからで、大量生産の押しつけ商品以外の物は、きちんと利益を出して売れているのです。

もはや、消費者はグローバリズムに背を向け、モチツ持たれつ、の精神で、自国の、買い手の事を心から思って丁寧に作られた商品を、必要な分だけ、無駄にしないよう少量ずつ購入する生活を取り戻しつつある。
先行きは、あかるい。

デモに行かなくたっていい。
ただ、中国製品を買わなければいいのだ。

店先に日本製の家電が無い?
「日本製のは無いの?じゃあ、いらない」と言い続ければいいのだ。
とりあえず使う分は、新品ではなく、古道具屋でしのげばいい。もし必要なら。

大丈夫、物の5年もすれば、大抵の物は国産しかなくなる。
日本人の国産信仰をなめるな!
国外産を今まで買ってやっていたのは、日本企業が、必至に海外でも日本の品質を、品企業の看板にかけて実現しますと言っていたから。海外で必至に働く日本の企業戦士へのエールもあったから。
もはや、そのエールは二度と響く事は無い。
海外に工場を立て、金儲けのために日本の誇りを売り渡す売国の輩にかける情けなど無い。

日本企業は速やかに日本国内に回帰せよ。
それができなければ、日本国内での販売は全滅だ。
日本での実績の無い日本ブランドなど、海外でやって行けると思ったら大間違いだ。
日本製品の海外販売苦戦は円高のせいなどではない。
お前らメーカーがぐうたらで、海外の企業見たく、寓たらしてても稼げるようになりたいなどと言う、卑しい根性でいるからだ。
原点へ帰れ。

世界一厳しい品質要求の日本人の期待に応え、山ほどいる日本のライバル会社との販売合せん、サービス合戦で鍛えられたからこそ、海外で敵無しだったのだ。

昨今の日本企業の不振を、自分たちの怠慢を棚に上げて円高のせいだの、サムスンの安売り攻勢のせいだのと、雇われ能無し社長どもの見苦しい事と言ったら無い

これを機会に、中国朝鮮とはすっぱり縁を切り、かつての日本を取り戻そう!

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